黒騎士は敵国のワケあり王女を奪いたい
ギルバートは腕を伸ばし、うしろめたさに怯えるフィリーの腰をそっと引き寄せる。
俯く小さな額に囁いた。
「きみには休憩が必要だ、そうだろ」
フィリーが唇を噛んで頷き、ギルバートの手を掴む。
ひとりで立つにはまだ足もとさえ覚束ない。
ほかの誰かの気持ちを受け止めるほどの余裕はないだろう。
少しずつでいい。
正気とは思えないことだが、ギルバートはフィリーをどこかふたりきりになれるところへ連れ去って、腕の中に囲って慰めてやりたくなった。
もしそれが現実なら、行き先は地獄だ。
「待ってよ!」
そのとき、見物人をかき分け、身なりのいい少年が王女を攫う悪魔の前に転がり出てきた。
ひとつ向こうの通りに別邸を持つカートライト卿の子息だ。
貴族らしく胸を張り、期待を込めた丸い目でフィリーを見上げる。
「僕はジャンニです。手を触ってもいいですか、王女殿下」
「私の手?」
フィリーが手のひらを広げる。
煤だらけの、ほっそりとした手だった。
ジャンニがうれしそうに頷く。
「ご存知ないですか。煙突掃除人に触るといいことがあるんです。僕は煙突掃除をしている人を見たら、いつもそうしています」