課長の胃袋をつかみました
うつむく私を見つめていた先輩が私の手を握ろうとしたそのとき。

しばらく続いていた沈黙を聞き慣れた声が破った。

「人の婚約者を勝手に口説くな。」

私の視線を遮るように、突如大きな背中が先輩との間に入ってきた。

「か、課長………」

なんで課長がここにいるの。

私は信じられないものを見たような気がして思わず目をこすった。
その驚きようは先輩も同じなようである。

「なぜ課長がここに………?それに、こ、婚約者とは?」

課長はその問いに応じることはなく、体の向きを変えて私へと視線を落とすと、怒りとも悲しみとも取れないようななんともわからない表情で私の腕を掴み勢いよく立ち上がらせた。

「お代はこれで。」

課長はそう言って一万円札をテーブルに置くと、私の手を引きながら颯爽とバーから立ち去った。

「ちょっ、課長!どうしたんですか!」

たとえ春先といえど夜はまだ冷える。
私は持ってきていたスプリングコートを着ることもできぬまま、夜の冷たい空気を感じながらただ課長に手を引かれるまま足を動かした。

しばらく歩きバーが見えないところまで来ると課長は私の方へと向き直り、先ほどと同じような顔で私を見つめるとバツが悪そうにすまないとボソッと言った。

「急にどうしたんですか、課長。それに婚約者とか言って!先輩に変に誤解されたらどうするんですか。急にいなくなっちゃって、先輩も絶対びっくりしてますよ。連絡入れとかないと………。」

私がそう言ってスマホを取り出しメッセージを送ろうとすると、課長は急に私のことを強く抱きしめた。

「ちょっ!課長!本当に何やってるんですか!街中ですよ!」

私が抗議をするが、課長はびくともしない。

「お前は、やっぱり塚田のことが好きなのか?」
「へ?」
「だから弁当も作ってきて、一緒にメシ行って、告白されても満更じゃなさそうで。」
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