夢物語【完】
お店に入ると店長の木藤さんが出迎えてくれて、妊娠中の私のことを気遣って出入り口に近く、暖房がよく効く席を取ってくれていました。
木藤さんはすごく素敵な方で、中塚さんとはまた違った大人の魅力を感じます。
すごく回りをよく見ていて、繊細な方なのかと思いきや、すごく気さくな方だったりするんです。
「陽夏さん、お久しぶりです。予定はもうすぐですか?」
「お久しぶりです。来月に臨月なんです。おかげさまで順調に育ってます」
木藤さんは「それは楽しみですね。お体に気を付けて下さい」と言ってくれて静かに下がって行きました。
スマートな対応に優しい笑顔、低くもなく高くもない穏やかな声、全てが洗練されていて京ちゃんの前だということを忘れて背中を見つめてしまいます。
「陽夏」
「…はい?」
ヤバイ、と思いましたが、ここは同様せず笑って顔を戻すと案の定、眉間に皺を寄せた京ちゃんが行儀悪く肘を付いています。
ダメだよ行儀悪いよ、と注意すると、じっと私を見つめて逸らしてくれません。
これは何事も口に出さない京ちゃんからの沈黙の訴え。
これはあたしが悪い、ということらしいので謝るまでこの状態のままです。
何か思うことがあるなら口に出して言えばいいのに、と昔から言ってるんですけど、口を開くと言葉がきつくなるのを気にして、あまり口を開きません。
「…今のは私が悪かったです。木藤さんを見つめてごめんね?」
「そんな可愛く言うと、さらにムカつく」
ちょっと拗ねた言い方に、それも顔に似合わず拗ねる姿に思わず笑ってしまうと「なに笑ってんだ」と、また怒られてしまいました。
京ちゃんはすごく優しいんです。
本当に私の事を大切に思ってくれているんです。
自分の言葉はほとんど口にしませんが、それは意外と脆い私を傷つけないため。
他の人は“言葉にしないと伝わらないよ”って思うかもしれませんが、私達はそうしなくても気持ちを通じ合わせることが出来るんです。
…というのは言い過ぎで、何かわからないことがあれば何でも聞いてしまう私だから京ちゃんが話さなくなったのかもしれません。
だって、ナリくんといるときは家で二人でいるときよりも口数が多いからです。
そして、言葉はきついけど、涼ちゃんに接する時も私を相手にしているときよりも口数は多いです。
私とは喧嘩にならないですし、喧嘩できる涼ちゃんが羨ましく思ったときもありましたが、そのあと京ちゃんの機嫌を直すのが私の役目なので、それも悪くないと思い始めたんです。
それに、涼ちゃんに言われた言葉でムスッとする表情や図星を突かれてイライラしたり反省している所が見れるので涼ちゃんには感謝しています。
でも、やっぱり一番大好きな表情は―――。
「拗ねてくれる京ちゃんが好きだな」
そう言うと、京ちゃんは拗ねていたのを顔から消して無表情になってしまいました。
私の言葉に素直に反応するところも可愛くて大好きなんですが、言ってしまっては楽しみがなくなってしまうので、にやける顔を抑えることにしました。
「私、高校生の頃から京ちゃんを好きな気持ちは変わらないの。京ちゃんを夢中で追いかけていたあの頃と全く変わらない。大好きなの」
京ちゃんが言葉をくれない代わりに私が言葉を伝え続けてもう何年経つんだろう。
こうしていること私達だという形が出来上がってしまって、これが普通になってる。
私がそうであるように、京ちゃんも“コイツじゃないと自分を理解してもらえない”って、そんな風に見ていてくれたら、これ以上ない幸せです。
幸せだと、京ちゃんが大好きなんだと、愛してるんだよってことを、常に伝え続けています。
そう感じたときにはちゃんと口に出すようにしています。
言葉をくれない京ちゃんは自分がそういう言葉を口にしないから、私がいつか愛想を尽かすんじゃないかって昔から心配しているんですが、そんなことは一切ありません。
京ちゃんが言わない代わりに私が2倍、京ちゃんの分まで気持ちを言葉にするんです。
そして、言葉にしてくれない京ちゃんが私は好きなんです。
「あ、またこんな所で何言ってんだって思ってるでしょう?でもね、これが今の気持ちなの、京ちゃん」