along

「これからはまた大変だから、今夜くらい楽しまないと」

「大変、ですか?」

おじいちゃんはまた新たな日本酒で口を湿らせる。

「彼は、恐らく“平凡な天才”だから」

“平凡な天才”という奇妙な言葉に首をかしげると、おじいちゃんは独り言のように続けた。

「有坂には将棋の才能があるし、期待されるようにいずれもっと大きなタイトルを取るかもしれない。でも、史上最年少、最短記録、史上初、そういうどうやっても手にすることができない記録もすでにたくさんある。彼がようやく一つ階段を上がった頃に、本物の大天才が現れて、そういう記録を全部塗り変えて行くはずだ。過去の大天才と未来の大天才の間を預かる“平凡な天才”なんだよ」

長い将棋の歴史の中でタイトルホルダーは何十人もいる。
記録には残っても記憶から消えてしまうタイトルホルダーがほとんどだろう。
おじいちゃんが言うように、直は“史上最強”にも“平凡”にもなれない“平凡な天才”なのかもしれない。

「別にいいんじゃないでしょうか、“平凡な天才”で」

おじいちゃんは目で私を捉えたまま、コクリと日本酒を飲んだ。

「こんなにたくさんの人が応援してくれて、それに報いることができたんですから」

いいも悪いもなく付き合い続けるしかない。
直にとって将棋とはそういうものだ。
直がどんなに努力しても敵わない大天才が現れるかもしれないし、そうでなくても加齢との戦いが待っている。
栄光の先には衰退しかないのも事実だろう。

それでも直は、好きなことを仕事にできて大きな成果を出したのだ。
タイトル獲得後、ネットでの反応を見たら

『やっと……やっと……長かった』

『待たせやがって。もう泣ける』

『棋聖ひとつで満足するなよ! このまま複数冠狙っていけ!』

と、熱いメッセージが溢れていた。
たくさんの人が直を応援し、自分のことのように喜んでいる。
これで不幸なんて言ったら、好きでもない仕事をして生涯を終えるたくさんの凡人たち(もちろん私を含む)にも、切なげに高砂を見つめていた梨田さんにも、顔向けできないよ。
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