along
なんだか遠くで泣き声がする。
あれやこれやと処置が続いていて、現状がよくわからない。
とりあえず、ずっと続いていた大きな痛みはもうない。
やった、やりきった……。
「有坂さん、ほら、元気な男の子ですよー」
仰向けでぐったりしている私のすぐ目の前に結構グロテスクな小人が運ばれてきた。
うわーーーー、頭の形が直そっくり。
賢い子になるのかなー?
「……やっぱり将棋やるの?」
ウンともスンとも言わない小人を一撫でする。
君のパパは(ある意味)日本の頂点に立つ人だけど、そんなもの目指さなくていいんだからね。
将棋以外のところでパパより上になればいいんだから。
ちなみにそれは楽勝だよ。
「元気に産まれて来てくれて、それだけで上出来です」
ごめんね、重荷なんかじゃない。
君はきっと、直に将棋以外の喜びを与えるよ。
きれいに洗われて白い服を着せられた息子は、透明なプラスチックの中の布団に寝かされた。
トイレだとかもろもろ下の処理が終わった頃、ようやく母が入ってきて、息子を前に「わー」とか「きゃー」とか騒いでいる。
「お母さん、携帯返して」
おじちゃんからのメッセージは『勝勢!』に変わっている。
それを確認して、私は直にメッセージを送った。
『ごめん! 全然見られなかった! 副賞は三輪車がいいな♪』
かわいい息子と2~3歳は老けた私の写真(門外不出!)を添えて。
体調が急変したりしないようにそのまま分娩台で2時間程度様子を見るらしく、疲れ切った私はすっかり眠ってしまった。
そのため直が勝って名人を獲得した場面も、その後のインタビューの様子も、全然見られなかった。
だからこれは知り合いの記者から聞いた話なんだけど、彼は対局後の食事会で直に「率直に今どんな気持ちですか?」と聞いたそうだ。
直は少しぼんやりして、
「まだ全然実感がありません」
と答えたそうだ。
それはそうだろう、と深く頷く記者に対して、ヘラッとしまりのない顔で感慨深げな溜息をもらしたらしい。
「俺、父親になったんですねー」
当然、新名人のコメントとしては前代未聞……。
終局直後の直からの返信は、いつも通りたった一言。
『はやくあいたい』
大事な大事な報告は、一言も書いていなかった。
end