along


直のマンションは出会ったあの駅から徒歩十分のところにあった。
駅前は賑やかだけど、少し歩くと閑静な住宅街になる。
こぢんまりしていながらも割と新しくきれいなマンションの八階だった。

「お邪魔しまーす」

「どうぞ」

直に続いて入ると、自分の家とは全然違う匂いに包まれた。
なかなか大きなシューズボックスがついていて、マンションにしては広い玄関はいっそ寒々としている。
短い廊下を抜けると、そこは私の部屋より広いリビングで、ソファーとローテーブルとテレビにパソコン、あとはそれなりに収納家具がいくつかあるくらいなのだけど、何よりも存在感を放っているものがあった。

「直って将棋指すの?」

リビングと続き間になっている和室は襖が取り去られていて、そこに将棋盤があった。
小学校のとき男子が学校に持ってきていた折りたたみ式の安っぽいものではなく、テーブルみたいになっている分厚いやつ。
サイズは普通の(と言っても普通がよくわからないのだけど)将棋盤と同じだろうし、隅に寄せてあるにも関わらず、部屋の主のごとく自己主張している。

「……真織さん、ちゃんと『指す』って言葉知ってるんだね」

無意識に使っていた言葉を指摘されて、私の方が意外だった。

「うちの会社のおじちゃんが大の将棋好きでね、『囲碁は打つもの、将棋は指すもの。これ常識以前!』ってうるさいの」

「そうなんだ。だけど将棋を指す側の人間から見ると、ちゃんと『指す』って言ってもらえると心を掴まれるね」

「そういうもの?」

「うん。今掴まれた」

帰り際見せるあの目みたいに、直は深い瞳を少し揺らした。
やはりどうしたらいいのかわからず、逃れるように将棋盤に近づく。

「あ、これが駒? こっちも立派だね。見てもいい?」

「いいよ」

桐箱(多分)を開けるとこれまた手触りの良い布袋が入っていて、中でカシャカシャと音がした。
中身は予想通り将棋の駒だった。
ザラザラと袋から出してみると、やはり記憶にある安い駒よりは立派なような気が、しなくもない。

「なんか高そう。こんな駒持ってるなんてよっぽど将棋好きなんだね。強いの?」

いつもならテンポよく返ってくる返事が聞こえない。
不思議に思って振り返ると、直は魂でも抜かれたようにポカンと私を見ていた。
その反応に私の方までポカンとしてしまう。
すると突然お腹の底から笑いがこみ上げてきたらしく、直はひとりでクツクツと笑い出した。

「そんなこと聞かれたの、小学校以来かなー?」

そんなに笑われるほどおかしな質問だっただろうか。
少し不満げな顔になった私に気付いたのか、直は笑いを収め、今度は少し悲しそうな、それでいてどこかスッキリした複雑な笑顔で答えた。

「そうだね。将棋、好きだし強いよ」

部屋に将棋盤があったから「将棋が好きか」と聞いた。
それに対して直は「好きだ」と答えた。
何もおかしなところのない、ごくごく普通のやり取りだったのに、直の表情と言葉が頭から離れなかった。
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