along

今私の目の前には数冊の将棋本が積まれている。
おじちゃんから借りた“参考文献”だ。
将棋本と言っても将棋そのものを学ぶ、いわゆる“棋書”ではなく、棋界のことをあれこれ書いたもの。
直のいる世界のことを知れば、もう少し直のことがわかるかもしれないと思ったから。

ベッドに横になって読み始めた私は、いつの間にか壁に背をあずける形で座り込んでいた。
昔だったら数ページで眠くなっただろうけど、今は食い入るように文字を追う。
背中とお尻が痛いし、肩も凝っているのにやめられない。
面白いからではなく、ほとんど恐怖に近い。
あまりに一般社会から離れていて、とてつもなく壮絶で。

将棋のプロ棋士になるような人は当然将棋をたくさん指してきたのだけど、それは将棋しかしてこなかったとほぼ同義だった。
もう“仕事”ではない。私が今の仕事を辞めても、就職活動をして別の仕事を探すと思う。
別の仕事をしたからと言って、私が私でなくなるわけじゃない。

でも棋士は違う。
将棋を取ったら何も残らないというよりも、将棋を取るなんてできない。
一般的な生活をしてきていないから、他の生活なんて知らないし、極端な場合、頭はいいくせに学歴は中卒の人さえいる。
一般社会で中卒はアルバイトさえ難しい。
文字通り、将棋に人生のすべてを懸けている。

特に奨励会の過酷さは凄まじい。
自分の人生すべてを否定されて放り出された二十六歳は、その後一体どうやって生きていけるというのだろう。

「誰かが勝つってことは誰かが負けるってことだからな。有坂先生が三段リーグを抜けてプロになった陰には、先生に負けて人生を潰された人もいたはずだ」

おじちゃんはそんなことも言っていた。
制度を考えると当然のことだ。

「直ってそういうタイプに見えないんだよ。人を蹴落とすような」

「人を蹴落とすことはしなくても、将棋盤挟んで手を抜くことはしないだろ。先生自身だって、人生かかってるんだから」

直は優しいけど、手を抜くことはないだろう。
この数ヶ月一緒にいて、それはすんなりと納得できた。
どんな状況であれ全力を出す人だ。

「コンピューターがどんどん強くなって、研究も昔の何十倍ものスピードで進んでいる。手を緩めていられるわけない。呼吸してる間にも、新しい将棋が生み出されているんだから。プロ棋士でいる限り、一生毎日戦いだ」

毎日戦いなら、それを支えてあげたいと思うのに、今の私ではそんな次元にない。
< 49 / 123 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop