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おじちゃんから借りた本には、魂を削るようにして一手一手指す棋士の話もあった。
どんなに努力を重ねても下位の組から抜けることができず、恐怖に怯え続ける人も。
どう頑張っても敵わない苦しみから逃れるために、お酒やギャンブルに逃げて身を滅ぼす人もいた。
将棋なんてただのゲームなのに、それに振り回されるなんておかしい、とも思う。
だけど、例えば鬼ごっこをするとき、本当の鬼じゃないとわかっていても恐怖心は本物であるように、将棋しかない世界に生きる彼らにとって将棋は絶対なのだ。
負けることは自分自身を否定されること。
つまり、毎回自分自身を懸けて戦っている。
本を閉じて時計を見ると、日付が変わってだいぶ経っていた。
明日も仕事だから早く寝ないといけないのに、頭が冴えて眠くならない。
直の将棋ってどんなものなんだろう、と携帯を手に取った。
将棋の対局には対局者二人以外に記録係がついて、その対局の棋譜を残す。
プロの公式戦での戦いはすべて後世に残されるのだ。
だから棋士は勝つことはもちろん、恥ずかしくない内容の将棋を目指すし、また過去の棋譜からその棋士の生き方や人柄にも思いを馳せる。
今は携帯でも簡単に検索できるので、私でも直の棋譜を探し出すことができた。
順位戦B級1組5回戦
先手▲ 国分大地七段 VS 後手△ 有坂行直七段
▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △8四歩 ▲2五歩 △8五歩 ▲7八金 △3二金 ▲2四歩 △同歩 ▲同飛 △8六歩 ▲同歩 △同飛 ▲3四飛 △3三角 ▲3六飛 △8四飛 ▲2六飛 △2二銀 ▲8七歩打
将棋をもっと知れば近づけると思った。
でも、知れば知るほど直はどんどん遠くなる。
一手一手積み重ねた棋譜は重くて、重いのに何ひとつ私には教えてくれない。
ふと、ドミノをやったとき、不安定で倒れそうな駒があったことを思い出した。
あの駒は、角が少し取れて丸くなっていたのだ。
「あっ!」
その事に思い至って声が出た。
将棋の勉強の基本に“棋譜並べ”というのがある。
棋譜を見ながら実際に将棋盤に並べて対局を再現するもので、棋譜並べと詰将棋は基礎中の基礎。
角が取れるほどなんて、あの駒で直は何千局棋譜を並べたのだろう。
何千局練習したのだろう。
待ち合わせのとき持っていた紙だって、十中八九、詰将棋だ。
将棋盤の格子模様が見えたことだってあったのだから。
直の周りにはいつでも将棋が溢れていたのに、私は何も見えていなかった。
見えていても、気づこうとしなかった。