along

「そっか。それじゃあ仕方ないね。とりあえず別れよっか」

冷房で冷えていたはずの背中がじっとりと汗ばみ、動悸も激しくなってきた。
恋のときめきみたいなかわいらしい意味ではなくて、自分の置かれた状況に対応できていないという意味で。

その後武は、サッカー選手の移籍金の話や、ダウンロードしたアプリの不具合の話なんかをしながらアイスコーヒーを最後まで飲み切って席を立った。

「じゃあね、マオ」

いつもの別れ際と何の違いもなくそう言って、手を振り店を出て行く。
人混みに消えるその背中を窓越しに追い続けたけれど、振り返ることもなかった。

残された私は気持ちの持って行き場もわからず、とりあえずアイスカフェラテをひと口飲んだ。
さっきまではおいしかったのに、少し薄まったアイスカフェラテはおいしくない。
それとも武が一緒だったら、おいしく感じられただろうか。
この店には何度も来たことがあるのに、いつも会話に夢中だったから、コーヒーをじっくり味わったことなんてなかったと気づいた。

終わったんだと思う。
私と武の九年は。
信じて疑わなかった結婚生活もなくなったんだと思う。
だけどそれは、つい三十分前まで疑う余地もなく手の中にあったから、全然実感がわかなかった。

武が言うように彼の浮気(武がどんな言い方をしようがあれは“浮気”だ)を認めれば、いずれは戻ってきて私と結婚してくれるのかもしれない。
けれど「やっぱりマオが一番だったよ」って聞いても、喜んで幸せな結婚をできるわけがなかった。

武としか付き合ったことがない私は、当然恋人と別れるのも初めて。
別れ際ってもっと修羅場になるのだと思っていたのに、そんな漠然とした予想と違って、私はひとり溶けた氷とカフェラテの二層に分離したグラスを黙って眺めている。

終わったんだと思う。
武の理屈が理解できようができまいが、実感がわこうがわくまいが。
怒鳴って罵って価値観が変わるわけがないし、泣いてすがって戻ったとしても、それはもう私の望む形にはならない。
だから、終わったんだと思う。

何らかの義務感で薄まったアイスカフェラテを最後まで飲んで、私はふらふらと店を出たのだった。


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