along
タイトル戦だから当然いい盤駒を使うのだけど、品質の問題ではなくそういうことがあるらしい。
年季が入って赤く飴色になった駒は、見えにくく感じることもあるのだそう。
照明の位置によっては、盤や駒が光ってしまって見えないこともあるとか。

「見えにくいなって思ったらどうするの?」

「別の駒に交換してもらうことも可能だけど、俺からは言い出さないかな」

タイトル戦ともなると、開催する地元の愛棋家から「是非使ってほしい」と自慢の盤駒を持ち込まれることもあって、安易な交換は言いにくいらしい。
そもそも決定権はタイトルホルダーにある。
今回使うのは旅館が所有している盤駒で、写真で見る限り白っぽい駒だから、見えないなんてことはなさそうだ。

その後、イベントで行われる抽選会用に扇子に揮毫していた。
ひとつの扇子に棋聖と直が一字ずつ書くらしい。

直は将棋を始めるのとほぼ同時期に書道も習っていたとかで、お手本みたいにきれいな字を書く。
ペン字の方はなぜかカクカクした変な文字で、筆跡鑑定を警戒して定規でもあてたの? と言いたくなる字なのに。

扇子はデコボコしていて書きづらいから苦手だと言っていたけれど、やっぱりくっきり美しい字で、

『進 挑戦者 有坂行直』

と書かれていた。
ちなみにいつも揮毫するのは『直進』で、将棋に向かって真っ直ぐ心を向ける直らしいなあ、と感動したのだけど、本人に聞いてみたところ、

「名前をもじってて、しかも何かいい意味っぽいでしょ?」

と、返答の方は非常に軽~いものだった。
もらった人ががっかりするから、それは内緒にしてあげてほしい。

「社長、私明日お休みいただいていいんですよね?」

終業後、ひとしきりブログをチェックした私は、荷物をまとめながら社長に確認した。
第四局が終わってすぐ、最終日の有給を申し入れていたのだ。
前日でもこうなのだから当日仕事なんてしていられない。

「鈴本さんはいいけど、ベンちゃんはダメだよ」

なぜかこそこそしていたおじちゃんの背中が、びくっと跳ねた。

「だめ?」

「だめ」

「どうしても?」

「どうしても」

「じゃあせめてネット中継はつけっぱなしでいい?」

「…………」

「仕事はちゃんとするから!」

将棋に翻弄される会社……いいんだろうか。

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