along
「心配なのはわかりますけど、真織さんも少し休んだらどうですか?」
頼子ちゃんが淹れてくれたのは、いつものインスタントコーヒーではなく、パウダータイプのミルクティーだった。
声を掛けられてようやく、自分が微動だにしないでディスプレイを見つめていたことに気づいた。
ゴーッという古いエアコンの音も、去年社長がもらってきた扇風機のブイーン、ブイーンっていう音も、全然聞こえていなかった。
夏はあまり飲まないホットだけど、その暖かさと強い甘みに癒される。
「うん。ありがとう。だけど『休む』って言っても落ち着かないから、仕事でもしようかな」
それから小一時間、常にない集中力で私は仕事をこなした。
外回りから帰ってきた社長が、
「あれ? 今日休みじゃなかったっけ?」
と驚いて声を掛けてくるまで中継サイトは見なかった。
その社長を蹴り倒す勢いでバタバタとおじちゃんが駆け込んで来る。
「どうなってる?」
「それは私が聞きたいの!」
今は日比野棋聖の手番のようだけど、直もまた考え込んでいる。
「棋聖が守りを固めるのか、攻勢に出るのかで戦況は変わるよ」
じーっと盤面を見る直の目は、私に見せたことがない厳しいものだ。
この人なら、どんな時でもどんな相手でも、将棋で手加減することはないだろうと思った。
例え相手の人生を終わらせることになろうとも、全力で指す。
直は多分強い棋士だけど、それでも少しでも緩めれば簡単に負ける。
余裕なんてない。
棋士でいる限りずっと余裕なんてない。
「将棋って消耗戦みたい」
おじちゃんは中継サイトから目を離さずに答える。
「人と人の戦いだから。コンピューターが強くなってるのは、メンタルを考える必要がないせいじゃないかと思うんだ」
「メンタル? 頭脳じゃなくて?」
「処理能力が向上してることは一番の理由だけど、将棋はメンタルの勝負だよ。制限時間に追われながら最善手を探す。正解がわからなくても決断する。そういう焦りや不安が思考を歪めるから」
「棋士だって人間だもんね」
「メンタル面と体力面を考慮しなくていいコンピューターが勝っても、棋士が弱いってことにはならない。ミスを誘ったり、時間攻めしたり、人間同士の対局には、それなりの戦い方がある」
ただ座っておやつとご飯を食べて将棋をするだけなのに、おじちゃんによると一局指すと2~3kg体重が落ちるのだと言う。
比喩でも何でもなく本当に消耗してるのだ。