along
頼子ちゃんが壁の時計を確認した。
「社長、あと一時間だし、今日は早めに上がりませんか? 誰も仕事する気ないみたいだから」
許可を求める言い方をしつつも、すでにパソコンの電源を落としていた。
仕事を切り上げても誰も帰らず、おじちゃんのデスクに集合する。
やがて棋聖が攻めを選んだ。
その手をみた直は、ガックリと下を向いて、そのまま動かなくなる。
「何か読み違いでもあったかな?」
おじちゃんだけでなく社長も頼子ちゃんもブラジルも、心配そうに画面を見つめる。
床についた手のあたりに視線を落としていて、その表情はわからない。
だけど、なんとなく、直は別に悩んでるわけじゃないような気がした。
しばらくして顔を上げた直は、表情も仕草も何も変わっていなかった。
けれどどこか熱を感じる指先で金を持ち、さっき棋聖の打った歩を取った。
「おじちゃん……」
「これは……一番激しい手順に進んだ」
細かいことは全然わからないけれど、解説の人も、
『さきほど一応解説しましたけど、本当にこの順を選ぶとは思いませんでした』
と驚いている。
『この角がよく利いてますよね』
『この角の働きを緩めるには……▲4六歩、ですか?』
『そうですねえ。でも、こっちの桂跳ねも痛いので……』
「どういうこと?」
いいとも悪いともはっきり言わない解説に苛立ち、おじちゃんに直接尋ねた。
「有坂先生が攻める順が多いみたいだな」
「それって優勢ってこと?」
「いや、受け切られれば有坂先生の玉は薄い(守りが弱い)から危ない。激しい分、ちょっと間違うとすぐに首が飛ぶ」
肩から指先まで真っ直ぐに、少し前に伸びるようにしながら、直が先手玉の上部を守っている金を取った。
続いて歩をくるりと裏返して進める。
日比野棋聖は王でそのと金を取る。
『これで先手玉はもう受けなしですね。後手玉を詰ますしかないです』
「おじちゃん、説明して!」
「棋聖の玉はもう助からない。だから棋聖は、有坂先生に攻めの手番が渡る前に、有坂先生の玉を詰ますしかない。今から棋聖が猛攻を仕掛けてくるから、それを受け切ったら有坂先生が勝つ。だけど、時間がなあ……」