along
落ち切らない真夏の太陽のせいで気温が下がらない。
だけど汗が止まらないのは、長い緊張状態のせいだ。
私はベタつく首筋に何度もハンカチをあてる。
直はやや前傾姿勢になり、脳を冷やすように扇子で扇いだ。
そして秒読みに追われるように扇子を閉じて、棋聖の歩を取り込んだ。
すかさず棋聖がその歩を飛車で取り、直もその飛車の頭に歩を打つ。
「もうやだー。観てられない!」
観ても観なくてもどうせわからないのに、私は手で顔を覆った。
それでも淡々とした秒読みの声が、心拍数を上げていく。
『日比野先生、これより一分将棋でお願いします』
『はい』
ざわざわとした熱が対局室の中を満たしていく。
駒音と、衣擦れの音と、秒読みの声しかないはずなのに、うるさいほどの熱気だった。
日比野棋聖は持ち駒を銀、香車、飛車、金とバンバン打っていき、直は逃げたり駒を打ったりしながらその攻めをかわしている。
『50秒ー、1、2、3、4、5、6、7、』
棋聖の持ち駒はたいぶ減ったはずなのに、駒を取ってはすぐに打ち込んでくる。
『日比野棋聖、さすがに攻めを繋ぐのがうまいです』
直の手番になれば勝てると、おじちゃんは言ったけれど、逃げることに必死で攻めに転じる隙がまったくない。
『50秒ー、1、2、3、4、5、6、7、8、9、』
直は駒を掴む余裕さえなく、中指の先でスライドさせるように玉を逃がしている。
わからないはずの社長も頼子ちゃんもブラジルも、息を詰めて画面を見つめる。
「僕でも、これがすごい戦いだってことはわかるよ」
社長の言葉に、おじちゃんは何度もうなずく。
「本当にすげーよ、これ。今年の名局賞だ」
栄誉ある賞なのだろうけど、指の隙間から中継を見ている私には、何の慰めにもならなかった。
「そんなのもらっても、負けちゃったら嬉しくない」
「そりゃそうだ」
「おじちゃん、どうなの? 勝てそう?」
無駄と知りつつ、すがるように問いかけると、おじちゃんも苦しそうに頭を掻きむしる。
「わかんないって! 他の詰み筋があれば負けるし、桂馬渡れば負けるし、間違えれば負ける!」
「『負ける』ばっかりじゃない!」
「将棋ってそういうもんだ!」
勝つって、なんて綱渡りなのだろう。
こんなことばっかりしてる直は、本当にどうかしてる。