along
しばらくして、さっきの従業員がメガネの若い男性を連れて戻り、私を示した。
男性は穏やかな表情で、少し小走り気味に近づいてくる。
その顔に、なんとなく見覚えが……。

「失礼ですが、鈴本さんはもしかして有坂の“真織さん”?」

「あ、はい。鈴本真織と申します」

「ああ、やっぱり! 初めまして。有坂の兄弟子の梨田史彦です」

「あ! こちらこそ初めまして!」

見覚えあるはずだ。
梨田さんは解説や指導が評判の棋士で、今期の棋聖戦第二局の解説もしていた。
直ともっとも親しい棋士のひとりなのだ。

「すみません、ご迷惑をおかけして」

「いいえ、いいえ。鈴本さんがいなかったら、有坂だってがっかりするでしょう」

梨田さんが会釈するだけで、受付はすんなり通してもらえた。

「鈴本さんは、将棋は指されないんですよね?」

「……はい。すみません。梨田さんの解説も、何もわからないまま観てました」

梨田さんはヒラヒラと手を振る。

「いいんですよ。サッカーをする人だけが観戦を許されるなら、あんなに人気スポーツにはなってないでしょう?」

「それも、そうですね」

「指さない方にも楽しんでいただけるような解説を、俺たちも目指してますから」

細かい手の意味はわからなくても、ちゃんと聞いていれば流れはわかる。
アマチュア高段者にも、私のような指せない人にも対応した解説は、とても難しいだろうと思う。

「もっとわかってあげられたらいいんでしょうけど」
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