魔王の妻
そのまま日は暮れて山の端に吸われ夕餉となった。三人は秋風凍みる寂しい広間で、ビーフストロガノフとサラダを食しながら、睦まじく歓談していた。といってもその歓談の中身は。
「どうしたらアナスタシアは魔王を殺さないでむしろ友としてあってくれるか」
 ということだった。無理だな、とアナスタシアは一蹴。マリエが慌てた顔をしてせがむ。
「では、もう少しこちらにいらして下さいませ! 閣下はお優しく慈愛に満ちたお方。そのお心のあたたかさに触れればきっと、アナスタシア様の心の氷も溶かされますわ!」
 マリエとルシフェールが頷き合っている。ふん、とアナスタシアはここで意地悪な物言いをした。
「何を言うか。身もこころも温めあっているのはお前たちではないのか」
 これにマリエが鼻から血を迸らせた。ルシフェールも顔をほんのり赤らめている。もう、打ち解けてきたのだろうか。二人はさきほどのように慌てて打ち消したりはしなかった。ただ、マリエは。
「い、いえ、そんな、禁忌などは」
と小さく繰り返して、ルシフェールの顔をちらと一瞥した。ルシフェールは困ったようにはにかんでいた。それから彼は。
「そ、そうだ! ワインも入ったし、腹も満腹だ。少し、踊ろうか」
 そう言って、音のない部屋で歌いだし、くるくるとマリエの手をとって踊り始めた。二人が蝶のように舞い踊っていると、どこからか楽し気な音楽が聞こえてきだすから不思議である。二人は本当に幸福そうに踊っていた。目を合わせば照れて外し、手をやわらかに握って、宝石など一つもつけていないはずなのに輝いてみえた。
 アナスタシアはただそれをじっと見つめていた。何の感慨もなく、ただ茫然と。
「アナスタシア! 今度は君とだ。踊ろう」
 魔王が手を差し伸べてきたので、アナスタシアも仕方なくその手を取った。アナスタシアも多少は舞踏の心得があったので、二人はたくみに舞い踊った。
「綺麗……光り輝いているみたい」
 マリエがそれを見つめ胸を焦がした。
一方のアナスタシアは、魔王の手の白く力強いことに、さまざまな感情を揺り動かされた。焦燥、怒り、憎しみ、そして、淡い劣情――。
「なあ、ルシフェールよ」
「ん? なんだい?」
「以前にもこうして二人、よく踊っていたな」
「え?」
 ルシフェールの頭が途端に疑問符でいっぱいになるのを、アナスタシアはすぐに認めた。
「覚えているか? よくこうして夜もすがら踊っていたろう? そしてそのままベッドに
飛び込んで、私たちは踊った……」
「な、何をいっているんだい、アナスタシア。僕たちは出会ったばっかりじゃないか」
 これを笑っていなそうとするも、アナスタシアの強いまなざしからは逃れられそうもない。アナスタシアの紅い唇がせまってくる。
「思い出せ。お前は私のにっくき敵であり、愛人であり、この身散々に引き裂きさいた男、そして……!」
 私の妹を奪った!!
 はっとしてアナスタシアは魔王の手を放した。魔王の顔色は真っ青になっている。
「僕が、僕が、いったい……」
「――すまなかった」
 アナスタシアは気分が悪いからと、マリエにもう眠りたい、そう告げた。
◆◆

「では、おやすみなさいませ」
 この不気味な夕餉が終わると、二人はアナスタシアへの客間の用意をして、二人して寝室に消えていった。アナスタシアはそれがちゃんちゃらおかしかった。
(何が、禁忌か。我が妹を奪い去っておきながら)
「今に不幸にしてやる。待っていろ」
 その呪詛にちかい言葉をひそやかに発して、アナスタシアは一人、客間へ入った。


◆◆
 翌日は魔王が気分を悪しくし、城で休むというのでその見舞いにと、女二人で花を摘みに行った。花畑は城にほど近く、馬を駆けさせ十分ほどのところにあったので、そこからは城の遠景と近くの湖がよく見てとれた。その湖の湖面は常に凪いで、何か大切なものをしまいこんで波すらたてず密やかにしているようにさえ見える。女二人は談笑しながら、色鮮やかな花を摘み、両手いっぱいのマーガレットを花束にと手折った。
(過去にも、こんなことがあった)
 アナスタシアは呪われた記憶を、狂おしい思いで呼び起こした。
(あの男と、ここへ来て、花を摘んで、睦みあった……)
「アナスタシア様?」
 そんな思いを心中くゆらせるアナスタシアへ、マリエが疑問を投げかける。
「先ほどから何を探してらっしゃるの?」
「いや、毒草がないかと」
「もう! アナスタシア様ったら! 」
 上目遣いで睨むマリエへ、おふざけだと、アナスタシアは言った。そう、半分は。
「ねえ、アナスタシア様?」
 その折、マリエが突然、こんなことを切りだした。
「これから話すことを、絶対、内緒にしてくださる?」
「うん? ああ、いいとも」
 マリエは本当に幸福そのものの笑顔で告げた。
「わたくし、もうすぐ閣下のお子を産むんです」
 背を向けたアナスタシアの表情などまるで鑑みずに、マリエは言葉を紡いでいく。
「だからわたくし、今とっても幸福なんです。愛する方のそばにあれて、その方の子を宿して母になれて、とても嬉しいのです。こんなに幸福な日々は、今までなかったってくらい」
「そう、か……」
 アナスタシアは一瞬うつむいた後、にっこりと笑顔を浮かべて振り向いた。
「あの男も、結局やることはやっていた、ということなのだな」
「もう! アナスタシア様ったら! 大嫌い!」
「はは、冗談だ」
 アナスタシアが笑いをひっこめると、マリエが実に愛らしく小首をかしげて、アナスタシアの手を取った。
「嘘です。アナスタシア様のことは、大好きですわ。まるで、本当のお姉さまに出会えたみたい」
 これにアナスタシアも微笑み返したが、その表情は硬かった。
「……私もだよ、マリエ」
◆◆
 そんな平和な日々がにわかに乱され、惨劇が起きたのは数日後の夜のことだった。アナスタシアが客間で眠りについていると、「きゃあああ」という甲高い悲鳴が聞こえてきた。寝室からだ! と思った折にはもう剣を握り部屋より駆けていた。誰を斬るつもりだったかはわからない。急いで魔王とマリエの寝室に赴くと、部屋の窓が割れ、人間たちが押し入ってきていた。その数、五、六人とみえそうか。
「うひゃひゃ、みたこともねえくらい綺麗な女が二人も!」
「金目のものもなさそうだし、こりゃこの女二人で今夜は楽しむしかねえな」
 男たちは下卑た笑いを噛み殺しながら、震えるマリエたちに近づいていく。それへ一足飛びに駆けて、アナスタシアが男たちの首や腕を刎ねていく。一人、二人。
「ぐぎゃああ」
 三人、四人。五人、六人。
 剣も血脂で鈍り、アナスタシアがそれをぬぐおうとしたとき。
「きゃああ」
 虫の息だった男の一人がピストルをかまえ、マリエに向けて撃たんとした。
「ちっ」
 アナスタシアが剣をふるおうとするも間に合わない。銃声が鳴り、窓ガラスが割れる。次にはアナスタシアも、マリエも目を見張った。銃弾は男のこめかみを射抜いていた。それもぐにゃりとねじ曲がった腕によって。
 男のその首はもがれていた。――気が付けば魔王の紅い瞳は元の金眼に変じていた。
◆◆
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