魔王の妻
アナスタシアの言葉は真実であった。それから日をおかず、人間界の兵士たちがこの城に続々入り込んできた。その総指揮をとったのはアナスタシアである。
魔王の城を蹂躙し、踏み入ってくる何千もの兵士たち。やがて彼らは、最上階、魔王の私室に、入り込んだ。
そこでは白いテーブルの深紅の椅子に腰かけた魔王と、その妻の姿があった。
「わが妹、マリエ・シュナイダーよ」
アナスタシアが燭台を手に持ち、声音高く
告げる。
「もしお前がこちらに戻ってくるのなら、その男を一生監禁はするが生かしてやってもよい。いかにする」
これを聞いたマリエは、ふらふらと白いドレスの裾を引きずって、アナスタシアの方へ近づいた。その顔は涙で濡れて、白じらと光っている。
「この娘はわが妹。丁重に扱えよ。さて。
――魔王よ。覚悟せよ」
マリエを兵士の手に渡してから、アナスタシアは剣を抜き、魔王へと一歩、また一歩と距離を詰める。魔王はテーブルにうなだれている。マリエが再び泣き叫んだ。
「っつ! なんて卑劣な真似を!! お姉さま、あなたはなんてむごい人なの!!」
「許せ妹よ。だが私は、どうしても、どうしても許せないのだ。この男のことが、どうしても」
それは、生涯を狂わされたゆえ、妹を奪われたゆえ、そして。そして、もうひとつは――。
アナスタシアの剣が、魔王の首を刎ねようとした、そのとき。
銃声が鳴った。アナスタシアはゆっくりとマリエの方を見やった。ふいに、自分の腹部に目をやる。血で濡れている。息をするたびに、それは膨らんでは滴り落ちる。
「ま、さか、いもうとに、裏切られる、とは……」
アナスタシアがゆっくりと地に倒れ伏していく。マリエの持つ金のピストルは硝煙をたなびかせている。
「おのれよくもアナスタシア様をっ」
怒った兵士たちがマリエを殺そうとする。剣をかざしたその手が、睨み据えたその瞳が、ぐるんと回転してねじきれていく。
「ああ、あなた、あなた……」
魔王は今覚醒した。魔王の眼は完全に、紅い瞳に変じていた。兵士たちが次々喉をおさえてはそこをねじ切られていく。魔王のそのあでやかな口元は笑っている。それからマリエに手招きして。
「ああ、久方ぶりにいい気持ちだ。さあ。マリエ、こちらにおいで。再び二人で、仲睦まじう暮らしていこうではないか」
さも幸福そうにこちらへ微笑んで近づいてくる男へ、マリエは最後に、つぶやいた。
「ああ、愛していましたわ……わたくしの、あなた……お姉さま」
再び、銃声が鳴った。マリエは胸を撃ち死んでいた。その血を浴びた魔王は、ただわれを失い、茫然としていた。もはや兵もおらず、マリエも死んで、残るのは息も絶え絶えのアナスタシアのみになった。
「アナスタシア、これで、満足だったか?」
魔王が振り向いて、この上なく美しい微笑をたたえると、アナスタシアも、少し、笑った。魔王は瀕死のアナスタシアを横抱きにかかえ、窓へ向かった。その向こうには、湖が見えた。アナスタシアの髪を撫でながら、魔王が歌いだす。その歌はいつぞや三人で舞踏を踏んだあの日の音楽であった。窓をあけると、冷たい朝風が二人の身を冷やした。湖はもうじきである。
それを認め、アナスタシアがぽつり、呟いた。
「これで、よか、った……」
了
魔王の城を蹂躙し、踏み入ってくる何千もの兵士たち。やがて彼らは、最上階、魔王の私室に、入り込んだ。
そこでは白いテーブルの深紅の椅子に腰かけた魔王と、その妻の姿があった。
「わが妹、マリエ・シュナイダーよ」
アナスタシアが燭台を手に持ち、声音高く
告げる。
「もしお前がこちらに戻ってくるのなら、その男を一生監禁はするが生かしてやってもよい。いかにする」
これを聞いたマリエは、ふらふらと白いドレスの裾を引きずって、アナスタシアの方へ近づいた。その顔は涙で濡れて、白じらと光っている。
「この娘はわが妹。丁重に扱えよ。さて。
――魔王よ。覚悟せよ」
マリエを兵士の手に渡してから、アナスタシアは剣を抜き、魔王へと一歩、また一歩と距離を詰める。魔王はテーブルにうなだれている。マリエが再び泣き叫んだ。
「っつ! なんて卑劣な真似を!! お姉さま、あなたはなんてむごい人なの!!」
「許せ妹よ。だが私は、どうしても、どうしても許せないのだ。この男のことが、どうしても」
それは、生涯を狂わされたゆえ、妹を奪われたゆえ、そして。そして、もうひとつは――。
アナスタシアの剣が、魔王の首を刎ねようとした、そのとき。
銃声が鳴った。アナスタシアはゆっくりとマリエの方を見やった。ふいに、自分の腹部に目をやる。血で濡れている。息をするたびに、それは膨らんでは滴り落ちる。
「ま、さか、いもうとに、裏切られる、とは……」
アナスタシアがゆっくりと地に倒れ伏していく。マリエの持つ金のピストルは硝煙をたなびかせている。
「おのれよくもアナスタシア様をっ」
怒った兵士たちがマリエを殺そうとする。剣をかざしたその手が、睨み据えたその瞳が、ぐるんと回転してねじきれていく。
「ああ、あなた、あなた……」
魔王は今覚醒した。魔王の眼は完全に、紅い瞳に変じていた。兵士たちが次々喉をおさえてはそこをねじ切られていく。魔王のそのあでやかな口元は笑っている。それからマリエに手招きして。
「ああ、久方ぶりにいい気持ちだ。さあ。マリエ、こちらにおいで。再び二人で、仲睦まじう暮らしていこうではないか」
さも幸福そうにこちらへ微笑んで近づいてくる男へ、マリエは最後に、つぶやいた。
「ああ、愛していましたわ……わたくしの、あなた……お姉さま」
再び、銃声が鳴った。マリエは胸を撃ち死んでいた。その血を浴びた魔王は、ただわれを失い、茫然としていた。もはや兵もおらず、マリエも死んで、残るのは息も絶え絶えのアナスタシアのみになった。
「アナスタシア、これで、満足だったか?」
魔王が振り向いて、この上なく美しい微笑をたたえると、アナスタシアも、少し、笑った。魔王は瀕死のアナスタシアを横抱きにかかえ、窓へ向かった。その向こうには、湖が見えた。アナスタシアの髪を撫でながら、魔王が歌いだす。その歌はいつぞや三人で舞踏を踏んだあの日の音楽であった。窓をあけると、冷たい朝風が二人の身を冷やした。湖はもうじきである。
それを認め、アナスタシアがぽつり、呟いた。
「これで、よか、った……」
了