冷淡なる薔薇の王子と甘美な誘惑
*

 司書に借りた重い脚立と格闘しながら大広間へと戻っていると、図書室から渡る通路の途中で、不意に腕にかかっていた重さを感じなくなった。

「どこまで持っていけばいい」
「ダウリス様!」

 フィリーナの背丈よりも高い脚立を、ダウリスはフィリーナの手からひょいと取り上げた。

「小さな娘がひとりで運ぶものではないな」
「あっ、あのっ」
「どこだ?」
「えっ、あの、大広間に……」
「わかった」

 軽々と脚立を肩に担いだダウリスは、私大股でフィリーナを追い越して行く。

「あの、申し訳ございません。ダウリス様もお忙しいはずなのに」
「構わない。どうせワタシも行く先は同じだ」
「あ、ありがとうございます」

 悠然と歩くたくましい背中を、フィリーナはちょこちょこと小走りで追いかけた。

「何か変わったことはないか?」
「はい、特には」
「そうか」

 誰にも聞こえないような声で訊ねられて、ふと思い出したのはディオンの言葉。

 ――もしかしたら、私の様子を見に来てくださったのかしら……

 言われて一瞬だけ過った不安は、目の前のたくましい背中にかき消される。
 それに、本当に何かあるというどころか、グレイスはフィリーナとは目も合わせなくなってしまったのだから、このままきっと自分とのことはなかったことになったのではないかとも考えていた。
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