冷淡なる薔薇の王子と甘美な誘惑
「え……っ」

 思わず上ずった声を出すと、ディオンはフィリーナを見ないようにして囁いた。

「フィリーナ。
 君はやはり、野放しにはしてもらえなさそうだ……あまり一人にならない方がいいかもしれない」

 低い声だったからなのか、背筋を駆け下りるものに身体が震えた。

「大丈夫だ! 皆は仕事に戻れ!」

 ダウリスがざわつく大広間に声を上げる。
 騒然さをかき消すように、使用人達は元の忙しなさに戻っていった。

 倒れた脚立を起こすダウリスに、フィリーナは「申し訳ございません」と頭を下げる。
 再び立ち上がった脚立の具合を見るディオンの向こうに、ふと視線を感じた。

 大広間の様子をうかがいに来ていたのか、今まで姿の見えなかったグレイスが、……ほんの一瞬だけ、とても冷たい目つきでこちらを見ていたような気がした。




.
< 111 / 365 >

この作品をシェア

pagetop