冷淡なる薔薇の王子と甘美な誘惑
*

「どうだ? 兄に取り入った気分は」

 グレイスがしばらくぶりにフィリーナに言葉を向けてきたのは、翌朝、朝食を終えたばかりの時間。
 まだ仕上げていない王宮の窓拭きをするために、水を汲みにやってきた洗濯場でのことだ。
 桶を抱えたフィリーナに向けられた声は、不気味なほどに優しく、いつもどおりのまろやかなものだった。

「グレイス様……」
「兄に話したのか? 僕の悪行を」

 洗濯場の柱に身体を預け腕を組むグレイスの表情は、昇りゆく太陽を背に陰ってうかがえない。
 碧く見えるはずの瞳は暗く、ただでさえ怯えた心臓に身体はカタカタと震えた。

「僕がここを追放されるのも時間の問題か」
「そ、そんなことは……」
「追放されれば、どこか知らない国でレティシアと生きるのもいいのだろうが。それでは彼女の望みは叶えられないからな」

 ――レティシア様の、望み……?

 おかしそうに笑いを含めながら、フィリーナの方へと歩みを進めてくるグレイス。
 妙に気になることを口にした冷たい空気に圧されて、じりと後ずさってしまった。
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