冷淡なる薔薇の王子と甘美な誘惑
 今まで、国のためを思ってしてきたことの全部が、グレイスを傷つけてきたのだ。
 王位継承の優先権を持っていたはずのグレイスが、王位を与えられない辛さは計り知れない。
 そのグレイスのやるせない思いを汲むかのようなディオンの瞳は、たしかな決意のようなものを宿してフィリーナを見下ろした。

「ひとつ、考えていたことがる。
 本当なら、グレイスの部屋に行ったとき、あれに告げようと思っていたことだ」

 両頬を掬い上げられ、合わせられた漆黒の瞳から心が降り注いでくる。

「私は、この国を出ようと考えていた」
「え……」
「遠く、誰も知らない土地へ行き、慎ましく余生を生きるのもよいのではないかと」
「そん、な……」

 ふ、と口端に小さな笑みが咥えられる。
 その笑みがあまりに痛々しくて、フィリーナは両頬を掬われたまま頭を振った。

 ――“消えてしまいたくなるかもしれないな、あなたは自分から”

 グレイスの言っていたたことが、現実になってしまった。
 本当はもっと苦しめたいだなんて、これほど追い詰められるような思い以上に苦しいことなんてないのに。
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