冷淡なる薔薇の王子と甘美な誘惑
「し、失礼いたします……」
「ああ、僕もすぐに行くよ」

 振り切るように部屋を出なければいけないのは、グレイスが寄せてくれている信頼が見えるから。
 それにフィリーナ自身、まだあの腕の中にいたいと、浅ましくも思ってしまっていたからだ。

 部屋を出てから、腫れぼったい気がする口唇にそっと指先を添える。
 ほんの少しだけ、コーヒーの苦みが漂ったままだ。

 ――なぜ、グレイス様は私なんかにお触れになられるの?
 レティシア様というお方がいらっしゃるのに……

 勘違いしそうになるほどに、何度も繰り返される口づけ。
 もう数えきれなくなってきた口づけは、グレイスの感覚を忘れられなくなるくらい、身体に熱をくべている。

 ――“お前を愛することができれば……”

 あんなことを言われてしまったら、小さな期待が目を覚ましても仕方がない。
 だけど、あまりにも身の程を知らない考えにとてつもない背徳感が押し寄せてきて、胸がぎゅっと縮こまってしまう。

 空のカップを載せたワゴンを進められずに部屋の外で固まっていると、廊下の奥の方からものものしい雰囲気が迫ってきた。
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