黒き魔物にくちづけを
序章

少女が生まれ育ったのは、山の中腹にある、それはそれは小さな村だった。

周りを木々に囲まれた村の暮らしは、決して豊かとは言えないが貧しくはなかった。狭い村の中で住民が諍うことすら、ほとんど起こらなかった。

一日に二度、住民が総出で礼拝を行うことくらいしか、とりたてた特徴だってないだろう。

少女の故郷はそんな、平和な、村だった。


──その小さな村が、轟々と音をたて、燃えていた。


「──!」

少女の喉から、声にならない悲鳴があがる。

広場に立つ精霊の像も、有事に備えて武器をしまっていた倉も、村の長の大きな家も、もちろん村人たちも、村を構成する何もかもが燃えていた。

小さな村を飲み込んだのは、あまりにも大きすぎる炎だった。

少女は呆然と、炎を見上げていた。

どうして、なんで。音にならない疑問符が、胸の中で激しく渦巻く。けれどそれに答えてくれる大人はいない。皆、あの赤い壁の向こう側だから。

「あ……!」

炎の向こうで蠢く影をみとめて、少女は思わず反応する。もしかしたら、まだ生きているかもしれない。そんな思いに駆り立てられて、焔に向かって走り出そうとする。

──けれどそれは、叶わなかった。

唸り声をあげて、少女の前に何かが立ちふさがった。行く手を阻む、黒い塊。よく見るとそれは、三頭の狼だった。

グルルル、と威嚇するように吠え立てられて、少女の足が止まる。自分の身の丈ほどの大きさもあるそれは、少女の瞳にはそれは恐ろしく感じられた。

思わずじり、と後ずさる。狼はその様子を見ると、意外なことにぷいと背を向けた。

大きく炎が爆ぜる。はっとした少女がまた足を踏み出そうとすると、目の前の狼たちはぴくりと耳を立ててこちらを振り返った。三組の瞳に睨みつけられた少女は、それ以上動くことは出来ない。

まるで、少女がそちら側へ行かせまいと意思をもっているようだった。あるいは、村人を助けに行くことを、許さないというような。

炎は、変わらずに轟々と燃えている。けれどそちらに行くことは出来ない。少女が足踏みしているうちに炎はさらに大きくなって、建物が燃え崩れる様子が見えるようになっていた。

ぺたり、と座り込む。

ああ、村が、私が生まれた村が、消えていく。

まだ幼い少女は、それでも悟っていた。この小さな場所の、終焉を。

ふと辺りに目を向けると、少女の前に立ち塞がる三匹ばかりではなく、何十匹もの狼がいることに気付く。

彼らは村を取り囲むように並び、皆一様に、静かに炎を眺めている──ように見えた。

どうして、狼が──?

狼の群れが、ただ黙って火事を見つめている光景は、まだ十の少女にとってもあまりにも異様なものだった。
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