黒き魔物にくちづけを
「は……?」
反射的に、彼女は声を上げる。この光景を見た時から、意識の奥底に燻っていた言葉ではある。けれど、まさか。
生贄。人柱。──前述した通り、昔は魔物にそれを捧げていた時代があったらしい。それも、毎年。
それでも、最近はそんなこともなくなっていた、はずなのに。魔物への恐れ自体が、昔ほど大きくはなくなっていたと、そのはずなのに。
「最近日照りが悪いのは、黒の森に住まう魔物がお怒りだから、と。その大きな翼で太陽を覆い隠しているからなんだそうです。最近は生贄を捧げることもなくなっていたから、それでお怒りなのだろうと。だから、今年は捧げるのだそうです。……そのために選ばれたのが、私、で」
信じられない、と目を見開いたエレノアに、少女は静かに語る。全てを受け入れたような口ぶりに聞こえるけれど、彼女の瞳は嘆きと悲しみに染まっている。
「教会に、自治体の方がやってきて……あ、私は教会で育てられた孤児なんです。神父さんも納得されて、私に生贄になるように言いました。これは名誉なことだから──と。……私は、断れなかったんです」
美しい水色の瞳に、透明な膜が浮かぶ。
「……なにそれ」
エレノアの喉から、低い声が出る。
自治体。町を取り仕切る、やたら居丈高な連中のことだ。考え方の古い奴が多くて、エレノアも黒い瞳のことで何度も皮肉を言われた覚えがある。
あの自治体のことだ、生贄のことは秘密裏に進めたのだろう。町でそんな話を一度も聞かなかったことも、隠れるように彼女が置かれていたこともそのため、というわけか。生贄に選ばれた彼女が教会の孤児、ということからも、自治体の思惑が読める。
「町のためにこの身を捧げるのが、立派なことだとはわかっているんです。神父さんにはこれまで良くしてもらいましたし、恩返しをしたいという気持ちもあります。……それでも、私はなりたくない……!こう思うのは、間違っているのでしょうか……!?」