黒き魔物にくちづけを
***
ふっと、意識が覚醒した。
ばくばくと、心臓の音が響いている。夢から逃げるように上体を起こして、息を深く吸い込んだ。
目を開けて飛び込んできた景色は真っ暗で、勢いよく吸い込んだ空気はとても冷たい。ぞくりと、背筋が震えた。
辺りを見渡す。当然だけれど、まだ真夜中だ。エレノアの部屋は北向きなので、窓の外の月明かりも無かった。しんとした夜だった。耳を澄ませてみても、風の音すら聞こえない。真っ暗な中に、彼女は一人ぼっちだった。
『出ていけ!化物!』
先程まで見ていた夢を思い出す。聞こえた声は、いずれもエレノアが村や町にいた頃、人間にかけられたことのあるものだ。
(……嫌な夢だわ)
落ち着いてきた息を長く吐いて、彼女はベッドから立ち上がる。無性に、ある所へ行きたくなった。
あまりに静かすぎるから、先ほどの声が聞こえてくるようで。彼女は思わず少し強めに床を踏んで、僅かな音を鳴らした。
それにしても、と彼女は思う。最後に言われた言葉。あれは、何だったのだろう。
『お前のせいだ!この【魔女】め!』
魔女、と。確かに、そう聞いた。その言葉からどうしても思い出してしまうのは、数日前に買い物に行った街でセレステから聞いた話だ。魔女とは、あの街や、都での恐れの化身。
(……でも、私自身は魔女と呼ばれたことは一度も無い……はずよね?)
彼女は首を傾げる。その通り、化物だとか不吉だとか嫌という程言われているが、記憶の中で『魔女』と呼ばれたことは一度もなかった。それなのに何故、あんなにはっきり聞こえたのだろう。
(聞いた話が印象に残っちゃってて、夢にも現れたのかしら)
ただの夢なので気にすることもないだろう、と思いつつ、彼女はそっと部屋の扉を開ける。
やはり、辺りはしんとしていた。少しの物音──例えば、誰かがうなされているような声や、ベッドの軋む音すら聞こえない。