黒き魔物にくちづけを
(……"生きたい")
少女が強く言い切ったその言葉を、自分は持っていないことに、エレノアは気付いてしまった。
故郷を、居場所を、記憶を──すべて失ってしまったあの日から、なんとか食いつないできた。【生きて】きた。けれどそこに、【生きたい】という強い意思は、あったのだろうか?
そこまで執着するほどの【何か】を、【私】はもっているのだろうか?
──『この化け物っ!』
朝、店で女に言われた言葉が蘇る。化け物、……化け物、か。
「……逃げちゃう?」
嫌な記憶を振り払うように、エレノアは目の前の少女にそう問いかける。
「え……?」
少女の瞳が見開かれる。けれどそれに構うことなく、彼女は屈み込んで鎖を見た。
なんて事無い、普通の鎖だった。少女の足につけられた枷も、そう珍しい造りでもない。これなら、いけるだろう。
エレノアは服のポケットを探り、中から裁縫セットを取り出した。服を繕うことが日常茶飯だったため常に持ち歩いていたものだ。中から針を取り出すと、枷の鍵穴に注意深く突っ込んだ。
「え……あの、何をなさってるんですか?」
少女の戸惑った声が聞こえてくる。エレノアはにやりと笑って見せた。
「前にね、鍵師のところで働いてたことがあるの」
その言葉と同時、カチャリと小さな音をたてて、あっけなく足枷が外れた。
「……うそ」
少女が目を見開いて、驚きの声をあげる。彼女は構わずに、今度は少女の手首の戒めに手をかけた。
「すぐにでも泥棒になれるくらいって褒められてたのよ。……まあ、そこもクビになっちゃったんだけど」
当時を思い出しながら、エレノアは語る。そう、あの鍵屋は、珍しく長続きした職場だった。エレノアを気に入っていた店主のおじいさんが体調を崩してしまい、私の黒のせいだと叫んだ娘に解雇されてしまったのだけど。
話しているうちに、手枷の方もあっさりと開く。自由になった少女は、信じられないといった様子で自分の手足を見つめている。