黒き魔物にくちづけを
「まさか……本当に、カゲがやったのか……?」
魔物が放った言葉に、彼女は思わず顔をあげた。
【カゲ】、そう呼ばれる魔物を、彼女は既に知っていた。
思い出すのは、初めて森の中を歩いた日のこと。囲まれて少し焦ったけれど、彼は「驚かせようとしただけだ」と言っていた。「無害な魔物だ」、とも言っていたはず。
──無害な魔物であるカゲが、動物をこんな風に殺したというのか?
(本当に、あのカゲが……?)
その時、屋敷の外がにわかに騒がしくなった。あの吠える声は、狼だろうか。ラザレスはすぐに振り向くと、足早にそちらへ向かっていく。エレノアは一瞬迷って、結局その背を追いかけた。
玄関に辿り着いて、扉の隙間から覗く。彼はもう獣の姿に変わって、庭に来た三匹ほどの狼と何事か話していた。狼の唸り声に、彼は驚いたような素振りを見せている。
話は予想よりも早く済んだ。狼たちはその場に留まったままだが、彼が戻ってきたのだ。エレノアの前まで来た彼は人の姿に戻ると、早口で言う。
「……あいつらも昨夜カゲに襲われかけたらしい。どうにも信じ難いが、さっきの死骸のこともあるし、放ってはおけない。少し様子を見て来る」
「狼も……?わかったわ。気をつけて」
彼の深刻な表情に、エレノアはすぐに頷いた。彼は頷いて、それから踵を返して狼の方へ戻っていく。長身の男の後ろ姿は一瞬で巨大な獣のそれに変わり、駆け出した彼と狼たちは一瞬で銀世界の彼方へ消えた。
「……何が、起こっているのかしら」
玄関に取り残されたエレノアは、ぽつりとそう呟いた。