黒き魔物にくちづけを

(今朝のカゲの騒ぎもあるものね。……無関係だと、良いのだけど)

何しろあの街は、彼女たちの住む場所から一番近いところにある。その街で流れる、森に関する不穏な噂だ。森で何か常ならぬことが起こっている以上、いくら噂とはいえ、知らぬふりは出来ない。

ラザレスには、あの噂のことは話していない。今朝あの死骸を見るまでは報告する必要も無いだろうと思っていた。何らかの関わりがあるなら話すべきだろうが、ただの憶測を言うのも気が引けた。だから今日、噂の経緯やきっかけを調べておきたいのだ。

(……それと、外傷用の消毒薬をもう少し買っておきましょう。何かあった時のために備えは必要だわ)

森では確実に異変が起こっている。この先【何か】が起こらない可能性は低い。その時に、ラザレスが怪我をする可能性は非常に高かった。

(……いくら治りが早いとは言え、この前怪我をしたばかりなのに)

弾と矢傷で彼が倒れたことはまだ記憶に新しかった。エレノアは、自分の懸念が杞憂であることを願った。





出かけてから一刻半ほどして、ラザレスは帰ってきた。

「……カゲの様子がおかしい。今までに見たことのない動きをしている」

森の様子を見てきた彼は、眉間に皺を寄せていた。話を聞くと、襲われこそしなかったものの、どのカゲも興奮したような落ち着かない様子だったのだと言う。

「俺の言葉も届かないようでな……。何がきっかけなのかは分からず終いだった」

暖炉の炎に当たりながら、ラザレスはそう言って溜息をつく。彼はひどく戸惑っている様子だった。「こんなことは初めてだ」と言っていたが、きっとそうだからだろう。
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