黒き魔物にくちづけを
「魔物については、魔女が配下に置いているというくらいで、それほど明確な伝説や逸話は神話においてはありません。おとぎ話や、私たちのいた辺境の町のような各地の信仰ではそうとも限らないみたいなんですけどね。……つまり、今までに魔女だけでなく魔物まで畏怖の対象にあがることはなかったはずなんですけど、今回はそうではなかったみたいですね。噂が起こったのは、やはり地方での飢饉や水不足が影響しているんでしょうが……魔物が話題に挙がったきっかけに関しては、わからないです。すみません」
丁寧に教えてくれたセレステは、最後にそう言って頭を下げる。神話において魔物の記述がないということはエレノアにとって意外だった。 それなら尚更、魔物についての噂が流れ始めた理由が分からなかった。
「……そう。じゃあ、森で魔物に襲われたという人がいるとか、そういうのもないのね?」
差し当たり今一番の懸念を訊ねる。火のないところに煙は立たぬ……つまり、襲われた人がいるからそういう噂が流れたのではないかと思ったのだ。
セレステは首を縦に振った。
「そのような話は聞いたことがないです。根拠という根拠は何も無いと思います。根拠が無いからこそ尾ひれがつきやすく、最近では『人を喰う魔物がいる』なんて話している人もいるくらいです」
「人を喰う……そんなことになっているの。とりあえず、根拠は無いのね。ありがとう」
エレノアの知る限り、森にそこまで凶暴な魔物はいない。けれどもし知らぬところでそんなことが起こっていたのだったらどうしようと思っていたので、セレステの答えにほっと胸をなでおろした。
(それじゃあ、カゲの様子がおかしいことと噂は無関係なのかしら。……でも、ここ最近急激に広まったと言うから、時期が似ていることは気がかりよね。……考えすぎかしら?)
エレノアは黙って思考をめぐらせる。カゲの様子がおかしいことの手がかりとなればと思い調べたはみたものの、外れだったのだろうか。