黒き魔物にくちづけを
抱き合っていたのは、時間にしたらどれほどだったのだろうか。
名残を惜しむようにゆっくりと温もりが離れる。互いの顔が見れるくらいになったとき、呟くようにラザレスが口を開いた。
「……お前が、帰ってこないかと思った」
「え?」
風にのって消えてしまいそうな言葉を、けれどしっかりとエレノアは捉えていた。覗き込むようにして問い返すと、ラザレスはたじろいだように視線をさまよわせた。
「……あの街でなら、黒のせいで嫌な目にあうことはないんだろう?森は様子がおかしいし、そっちにいた方が安全なのではないかと……」
しどろもどろに語られる内容は、エレノアにとっては見当違いと言っても過言でないものだった。思わず言い返そうと口を開くと、それより先にラザレスが言葉を続ける。
「それに……今夜は、祭りだから」
そう言いながら、彼は遠く──街の方角に視線をやった。
「音楽と、匂いでわかった。今日は祭りの日だろう?だからお前も、それに参加するのだろうと思ったんだ。街に知り合いがいると言っていたし、服も、その……それだし」
最後言葉を濁された部分は、エレノアが娘らしい格好をしているせいだろう。確かに前回街へ行った時は旅人らしい粗末な服を着たし、普段森にいる時はもう少し動きやすい服を着ている。初めてこんな服を着ているエレノアを見たラザレスの瞳は、彼女がお洒落をしてどこかへ行くように映ったのだろうか。
獣の耳も鼻も、人間のそれよりずっと優れている。彼は遠く離れた街の様子を感じ取って、祭りがあるのだと気付いていたのだろう。彼は一人で、楽しげな音を聴いていたのだろうか。自分は決して入ることの出来ない、祭りの音を。