黒き魔物にくちづけを
第四章
◇流された赤
──『姉さん、この石見て、まんまるだよ』
──『ほんとう。つやつやしててきれい』
──『色も、きれいな黒色だよ』
視界に、もやがかかっていた。ぼんやりとした景色の中で、誰かが喋っている。
(夢……)
エレノアは、悟った。またいつもの夢を──恐らく、記憶の断片を、見ている。
(この、声は)
片方の声には、嫌というほど覚えがあった。まだ舌足らずで、少し高い、誰かによく似た少女の声。
もう片方、相手の声は、少女のものほどではないけれど、それでも耳にしたことがあった。一度だけこの夢に出てきた、鮮明に姿の見えた男の子の声。
だんだんと、視界のもやが晴れてくる。──そこには、思い描いた通りの人の姿があった。
黒耀石のような色の髪。星の光を閉じ込めたような、澄んだ銀色の瞳。──見覚えがある誰かと、どこか似ている男の子。
(……でも、何だか違う気がするのよね)
しみじみと男の子の姿を観察したエレノアは、そんなことを思う。比べる対象はもちろん、この子と同じ色をもつ、よく知る人だ。
うまく説明できる訳では無いけれど、何かが違うのだ。挙げるとすれば、雰囲気が。
よく知る彼よりも、この男の子はずっとずっと無垢だった。この世の残酷さを何も知らないような顔をしていた。その差は、年月が生み出すものだけではないような気がして。
けれど──ひどく、懐かしいのだ。
少年が何か言うたび、笑うたび、泣きそうになるほどの、強烈な懐かしさに襲われる。
それは、今傍にいる彼を見た時にこみ上げる感情とは、全く別のものなのだ。
「……姉さんの目みたい」
石をずっと眺めていた彼が、不意に顔をあげた。そして、【彼女】の方を真っ直ぐに見て、言った。
(え……?)
彼女は、強烈な違和感に襲われる。だって、夢の中で彼女は【傍観者】だったはず。こんな風に、視線を向けられることなんて、起こりえなかった。
だって夢の主人公は、彼女ではなかったから。
(……そうよ、あの子は?)
もう一つ、いつもと違う点に彼女は気がついた。それは、いつも夢の中で出会ってきた、主人公たる黒い目の少女の姿がどこにも見えないこと。
先程、声は聞こえていた。だからこの場にいることは確かなのだけれど、どこにも姿が見えない。どこへいるのか──そう、思った時だった。
「あなたの髪みたいでもあるわ。……ロシュ」
少女の声が、聞こえたのだ。ひどく近いところ──エレノア自身の、喉から。
少女は、ずっと近くにいた。何故なら──【エレノア】こそが、【少女】だから。
そのことを悟った瞬間、視界は白く染まった。