黒き魔物にくちづけを
声のした方を振り仰ぐと、供物のリヤカーが置かれた辺りに馬の脚が見えた。あれに跨っている誰かが、名前を──恐らくはこの少女の名前を、叫んだのだろう。
セレステ、と言うらしい少女は、すぐにリヤカーを降りると、一目散にそちらへ駆けていく。
「セレステ!」
「ハウエルさん……!」
互いの名前を呼びあって、馬から飛び降りた男と少女はひっしりと抱き合っている。……なるほど、そういうことか。
強く【生きたい】と訴えた瞳の、その力の源がわかったような気がした。恐らく先程言いかけた「知り合い」とやらは、あの青年のことだろう。
「どうして……私がここにいると、わかったんですか?」
「町に来て、君の姿が見えなくて、嫌な予感がしたんだ。神父の態度もおかしかったし……」
とぎれとぎれに、二人の会話が聞こえてくる。一応、挨拶くらいはした方がいいのだろうか?けれど邪魔するのも悪いし……。一人取り残されたエレノアは、鎖の巻かれたリヤカーの傍で困ったように立ち尽くした。
けれど、会話はそうは長くかからなかった。セレステはほどなくして、エレノアの前に戻ってきた。抱き合っていたことを見られた羞恥心からだろうか、ほんの少し、白い頬が赤く色付いている。
「あ、あの……話の途中だったのに、すみませんでした。私、」
「いいわよ。知り合い、って、あの人のことでしょう?迎えに来てくれたんだから、早く行っちゃいなさいな」
申し訳なさそうにする少女に、エレノアはそう言う。もはや少女に、躊躇う余地などないはずだ。
「で、でも……」
「あのね、セレステさん。自分の幸せをつかもうと思ったら、他人のことなんてかえりみちゃだめよ。あの人と、生きたいんでしょう?」
少女の背中を押すように、エレノアは言葉を紡ぐ。水色の瞳が、見開かれた。
「……っ、はい」
確かに頷いた姿を見て、彼女は微笑む。そうして、ぽんと手を叩いて言った。
「そうと決まれば話は早いわ。あなたは私の服を着て逃げなさい。私はあなたのその服を着て残るから。頭巾を被っていれば、入れ替わったなんて気付かれないでしょう」
そして、数分後。
そこには、真っ白な装束に着替えたエレノアと、先程までエレノアが着ていた服に身を包んだセレステの姿があった。
「身長が変わらなくて助かったわ。どう?似合ってる?」
裾をはためかせて微笑んだエレノアに、セレステは曖昧な表情を向ける。本来ならそれを着ているべきは自分だったのに、という罪悪感は、未だ少女の中に燻っている。