黒き魔物にくちづけを
雪で覆われた世界は、見る分には美しいけれど逃げている時は不利だ。平原にいたら、遠くからでも姿を見つけられてしまう。傍らにいる狼は白と対照的な色をしているし、エレノアの身につけている濃い灰色の外套も、白の中では目に付いた。
だから彼女は、歩きやすい広い場所ではなく太い木の影になる場所を選んで進んだ。多少遠回りにはなろうが、こちらの方が安全であることには違いない。
そうして雪に足を取られないように気をつけながら、駆け出したときだ。
「見ろ!足跡があるぞ!」
──先ほどまでいたあたりから、そんな声が聞こえたのだ。
(もう近付いてる……!?)
人間達の予想外の進行の速さに、彼女は顔を青ざめさせる。そして、次の瞬間重大なことに気がついた。
(足跡があるから、どこへ逃げたか一目瞭然じゃない……!)
雪で覆われた世界は、逃げている時には不利だ──足跡が、どうしたって残ってしまうから。
「動物のものではない……。こっちだ!追うぞ!」
そのことに気がつくと同時に、そう指示を出す声が聞こえた。エレノアは慌てて再び駆け出──そうとして、気がついた。
(まずい……!足跡が残ってるんだから、屋敷に帰ったら居場所を知らせてるようなものだわ!別の方向へ行かないと!)
【魔物の住処】を、魔物を狩りに来た人間達に知られることほどまずいことはない。エレノアは慌てて右に方向転換し、そのままがむしゃらに駆けた。後ろでグラウが戸惑ったように声を上げるけれど、彼女は止まらなかった。
あの場所だけは、守らなければ。彼女を突き動かすのは、その思いだけだった。そのためだったら、もはや自分が見つかっても良かった。