黒き魔物にくちづけを
視線が合わさったのは一瞬で、彼はすぐに視線を人間達に残す。そして天空を向くと、ウオオオオ、と何かの合図のように遠吠えをした。
その、次の瞬間。
「わああああああ!」
「なんだ!?」
「魔物か!?」
男達の、慌てたような悲鳴が響き渡る。それもそのはずだ。彼らの前に、思わぬ刺客が現れたのだから。
どこかに隠れていたのだろうか。いくつもの黒い生き物──大量の狼の群れが姿を現し、一斉に人間達に襲いかかったのだ。
「狼……!?」
「なんで狼が……!?」
狼というものは彼らにも見慣れた動物なのだろう。それに襲われていることに、彼らはひどく戸惑っているように思えた。
狼たちは、素早い動きで男達に飛びかかる。足に噛み付くのもいれば、正面から押し倒すものや、手にした武器を奪い取って遠くへ持っていく賢い狼もいた。
エレノアは呆然と、その様子を見つめていた。よく見ると、群れの中にグラウの姿も見えた。どうやら合流したらしい。
「ビルドもいるよー」
ふと、間延びしただみ声が聞こえると思うと、そこにいたのは見慣れたカラスだった。彼はエレノアの傍らに降り立つと、地面に散乱した石を脚の爪でつまみあげ、ばさりと空へ飛び立つ。
そのまま敵陣の真上に飛んでいったビルドは、狙いを定めて爪をはなした。真上から落とされた石は、勢いをつけて一人の男の頭に直撃する。
「うあっ!?」
カラスの襲撃を受けた男がそんな声をあげながら倒れた。あれは痛そうだ、なんて緊張感の欠けた感想を、エレノアは抱いた。
武器を奪われたり倒されたりで、見る間に男達は丸腰になっていった。敵の隊長が隙を見て撤退の命令を出すのは時間の問題だろう。頭を的確に狙っているビルドはともかく、狼たちには殺すつもりは無いようだから、全滅するなんてことは無いはずだ。
ふと、戦況を見守っていたラザレスが彼女を振り向いた。もう大丈夫だろうと判断したのだろうか。どうしたのかと思っていると、彼は「乗れ」と言うように身を低くする。
この場は彼らに任せて、帰るつもりなのだろうか。エレノアは従うことにして、急いで彼の背に乗って、その毛にしがみついた。
ばさり、と翼が翻る。続いて彼が大きく地面を蹴ったのが、振動で伝わった。
もう大丈夫だ、と、この時初めてエレノアは思った。そのまま身を任せて、こてんと額を預けた。