黒き魔物にくちづけを
「……ちょ、ちょっと派手に出血してるけど、大丈夫よ。こめかみだから血が沢山出ちゃってるだけで、傷はそんなに深くないと思うわ」
いまだ傷口を凝視している彼に、エレノアは慌てて声をかけた。それから、とにかく血をどうにかしなければと、布と水を取るべく立ち上が──ろうとした。
「……血」
それよりも早く、動いたのはラザレスだった。彼は呟くようにもう一度言ったかと思うと、おもむろに手を伸ばしてきたのだ。肩にそれが置かれてしまうと、腰を浮かせようとしていた彼女はそれを封じられてしまった形になる。
なに、と顔を上げようとして──何か熱いものが、左目のあたりに触れた。
「……!?」
その濡れたような熱いものは、彼女の左目からこめかみにかけてをざらりと撫であげていく。じゅ、と水音が響いて、その触れているものが何かに、彼女は気がついてしまった。
(舐められてる……!?)
意識した途端、彼の舌が傷口に届いた。思わず身体が跳ねたが、傷口を触れられる痛みはそれほど無かった。恐らくは、彼がひどく丁寧に、そうしてくれていたから。
何が起こっているのか、エレノアには信じがたかった。それでも、肩に置かれた手、目の前にある彼の喉元、そしてダイレクトに伝わる舌の感触と、息遣いやら何やらの音。五感が伝えるこれら全てが、今の状況を伝えている。それでも彼女は、まだ呆然と、それを受け止めることしか出来ず。
「……っ」
時折、苦しそうな息遣いがまじった。エレノアのものでないそれは、目の前にいるラザレスその人のものだった。彼はエレノアから流れた血を口で受け止めながら、苦しげに息を詰まらせているのだ。
彼も怪我をしているのか、と思ったけれど、どうやらそうではないらしい。前回の戦いの後のように、理性を失って様子がおかしいのかと心配もしたのだが、それにしては一挙一動が優しすぎた。