黒き魔物にくちづけを
どうしたのだろう、とエレノアが考えた時、不意に、肩に置かれたままの彼の拳が強く握られた。自分の爪が平に深く食い込んでしまうのではと思うほど力の込められたそれを見て、彼女はふと思う。もしかしたら、彼は自分を責めているのではないのかと。
そう考えると、やけに苛立ったような彼の態度も、苦しげで、同時に悔しげな息遣いも説明がつくのだ。彼はきっと、自責の念に駆られている。その理由は──。
(……私?)
自惚れているようだと、自分でも思った。つい今朝方まで避けられて、顔すら見せてもらえなかった自分が何を言っているのだろうと。……それでも、エレノアのこめかみから流れる血を凝視する彼の表情を思い出すと、そう解釈するのが自然なような気がして。
まさか、でも、もしかして。色々と考えているうちに、長く短い時間は終わる。彼はゆっくりとエレノアから離れて、けれど立ち上がることなく、もう一度まじまじと見下ろした。
その瞳に映る色は──やはり、後悔と自責だ、と、エレノアは感じた。瞳の奥、海のような自責のその中に、エレノアの姿がぽっかりと浮かんでいた。
「……怪我は」
ぽつりと、呟くように彼は言う。まだどこか所在なさげな、頼りない口調だった。けれど、その言葉が引き金となったのかのように、彼は不意に口調を早めて、まるで洪水のように言葉を続けた。
「……他に、怪我は、ないのか?銃で撃たれはしていないか?矢が刺さったり、切りつけられたりもしていないか?何をされた?殴られたのか?」
予想外の勢いに、流石にエレノアも面食らう。何も言わなければ自分の目で調べ始めそうなほどの勢いだった。彼女は慌てて叫んだ。
「……まって、まって!落ち着いてラザレス。銃も矢も平気よ。他に出血しているところは無いって、あなたなら分かっているのでしょう?殴られたりもしていない。すぐ追いつかれるほどやわな足じゃないもの。されたのは石を投げられたことくらいよ。それだって、二回目のやつはあなたが庇ってくれたのだし」
勢いに押されないようにと大きな声を出した彼女は、半ばまくしたてるようにして一つずつ質問に答えていく。大きな声を聞いて、ラザレスはようやくはっとしたような顔をした。少しは我に返ってくれたのだろうか。