黒き魔物にくちづけを
「はじめに投げられた石だって、肌を切ったのはこめかみに当たった一つだけ。あとは服を着ているところに当たったから大事ないわ。大丈夫。これくらいならなんてことないわよ」
妙に誤魔化すよりははっきりさせた方が良いと思い、そこまで説明する。生活に支障が出るほどでもないし、このくらいの怪我は今までにも経験があったから、彼女にとっては本当に、なんてことないことだった。
しかし、ラザレスが浮かべた表情は、安堵ではなく──もっと、痛々しいものだった。
「……そんなに血を出しておいて、なんてことないはずがないだろう。何故、俺を責めないんだ。俺が、お前から目を離していたから……」
自分を責めるように言葉を紡ぎながら、壊れ物を扱うように優しく、彼の指がエレノアの頬をなぞった。彼女の存在を確かめているような手つきと、迷い子のような心もとない目に──不謹慎だけどエレノアは、ほっとしていた。
(心配……してくれたってことよね)
彼の態度を見れば、エレノアのことを本気で心配し、そのあまり自分を責めてしまっていることなど一目瞭然だった。けれどそれが、彼女には少し──嬉しかったのだ。
同じ場所にいるはずなのに、顔も合わせられず、言葉もろくに交わせなかった。恐らくは嫌われての行動では無いのだろうとわかっていたとは言え、そんな生活が長く続くことで、エレノアは思いのほか追い詰められていたらしい。こんなふうに取り乱されることに思わず喜んでしまう自分に、彼女は気付いていた。
「……こんなことになるのならやはり森なんかで暮らさずに街で……いや、でも人間に襲われたんだったら、人間のところにいるのも危険だな。どうすれば良いんだ、どうすれば、お前は安全に暮らせる……!?」
思わずエレノアが返事をしないでいるうちに、彼はどんどん自分を追い詰めていたらしい。らしくなく語調を荒らげた様子のラザレスに、エレノアは慌てて声をあげた。
「ラザレス、落ち着いて。私はあなたを責めたりなんてしないわ。ここから出ていきもしない。ここに、あなたと、いたいんだもの」