黒き魔物にくちづけを
「──えーのあ?なにかあったの?」
ふと、真上から声が響く。
その途端、ふっと足元から現実に引き戻される心地がした。馴染みのある声は、エレノアの内側の思考を強制的に終わらせたらしい。彼女の名の刻まれた墓の幻影は途端に消え失せ、そこには雪を被った、かつて愛された動物の静かな眠りの守り石が佇んでいた。
「これ、ハカ?」
エレノアの肩にとまったビルドが、彼女の視線の先を覗き込んで訊ねてくる。彼女は咄嗟に取り繕って、何事も無かったかのように頷いた。
「……そ、そうみたい。多分、前に暮らしていた人が造ったものじゃないかしら」
「ふーん……」
説明してやると、ビルドはじっとそれを見つめた。何か、カラスの興味をひいたのだろうか。
その隙に、エレノアはこっそり息を吐き出した。左手でこめかみのあたりをさする。刺すような痛みはもうなかったけれど、その名残がぼんやり残っているような気がした。
この頭痛は、前にも何度か経験したことがある。それは決まって目覚めた直後──妙な夢を見て起きた時に感じるもの、だったのだが。
(起きてる時に変なものを見るのなんて、初めてよ……)
今、見たものは何だったのだろう。自分の身に何が起きているのだろう。胸の奥にたまったもやもやしたものを振り払うように、彼女は立ち上がる。肩に止まっていたビルドは、驚いたように空へと飛び上がった。
その、時のことだった。
「……エレノア」
庭の向こう側にいたはずの、ラザレスの声がすぐ近くで聞こえる。と思ったら、次の瞬間には彼女の身体は何かに──彼の腕に、引き寄せられていた。