黒き魔物にくちづけを
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どんなに長く感じようとも、待っていればやがて時は過ぎる。
夕日が森の向こうへ落ちて、空が深い色で塗りつぶされて。エレノアがいる木陰にも、月が仄かな明かりを落とすようになった頃。それは、突然始まった。
遠くから近付いてくる大勢の足音と松明やランプの明かりに、彼女ははっと意識を戻す。……いや、眠っていたわけではない。ただあまりに退屈で、少し意識を飛ばしていただけだ、多分。
いつの間にか下がっていた気温に、彼女はぶるりと背筋を震わせる。手足を縛められて身体中の筋肉も固まってしまっている。
きょろきょろ、と辺りを見渡そうとしたエレノアは、けれどすぐそばに近付いてくる気配にすぐにやめた。出来るだけ身体を小さくして顔を俯かせ、怯えている哀れな生贄の風を装った。
「儀式の時間だ」
草の根を踏み付けてこちらへ来た男が、厳しい声でそう告げる。彼らはそのままエレノアの乗ったリヤカーを押し始めた。木立の向こうでは他の供物の乗ったリヤカーも移動を始めている。
少々乱暴に木の陰から出たリヤカーは、他のそれらに続いて森沿いの細い坂道を登っていく。小石を車輪が踏む度に振動が直に伝わって、かなり乗り心地は悪い。
ガツン、と、また車体が跳ね上がる。全身が一瞬浮かび上がって、すぐに腰が硬い台に叩きつけられる。
「いっ」
エレノアは思わず呻いた。それから、猿轡をはめ忘れたことを思い出してさっと青くなるけれど、運んでいる男たちは気にした様子もない。生贄の猿轡の一つや二つ、大して重要ではない、か。
彼女は気付かれないようにほっと一息つく。それから、振動で頭巾が外れる事を恐れ、立てた膝に顔を埋めるように俯いた。
そうして、エレノアが何度も呻き声をもらして、しばらく。
一行はようやく、目的の場所へと到着したらしい。