黒き魔物にくちづけを
セレステの言葉にうんうんと頷いてみせながら、エレノアはさらに言葉を続けた。
「ほら、ね。第一そんなことが起こっていてあなたの耳に届かないなんてことはないでしょう。人の噂っていうものは、必ずしも真実とは限らないどころか、そうでないことの方が多いのだもの」
恐らく彼自身が噂の種になっていることは、迷った末に言わずにおくことにする。彼はなんとか、納得はいかないながらも理解してくれたようだった。
「……そうなのか」
「ええ。この件に関して、噂される側である私たちが出来ることは少ないわ。否定しようにも、姿を見せた時点で増長させてしまうだろうし」
悔しいけれど、とエレノアは続けた。セレステたちにしたって同様だろう。噂をもみ消すことは、当然ながらそう容易ではない。
「それは……そうだな。……放っておくしかないのか」
「……そう、思うけれど」
対処としては些か消極的すぎるとは思いつつ、エレノアは頷く。街でなんと噂されていようと、それは街での話。真実を知らない人間にどんなことを言われていようと関係ない……はずだ。──その人間が、恐れのあまり迫害に乗り出さない限り、だが。
(問題は、そこなのよね……)
エレノアは内心でそう呟いた。けれどそれを防ぐには、魔物が恐ろしいものだという彼らに深く根付いた概念を覆さなければならないのだ。しかももっと厄介なことにその概念は信仰に裏付けされているときた。信仰を覆す──そんなことを、一体どうやってやればいいと言うのだ。
「……放っておいて何もしない、というのは、僕は賛成しかねるけどね」
その時、黙って聞いていたハウエルがぽつりと呟いた。