黒き魔物にくちづけを

エレノアは息を呑んだ。彼女はラザレスの悪夢をこの目で何度も見ている。あれは明らかに普通の夢ではなかった。ラザレスの様子を見ていたら、そう簡単に我慢できる程度のものでもないとわかる。人間から近い場所で悪夢を見てしまうのだとしたら、確かに魔物は自然とそこに寄り付かなくなるかもしれない。

「もし、悪夢が人間と近い場所に暮らしているという理由から起こるものだとしたら……やはり、君は一刻も早く、ここよりも人間から離れたところに移った方がいいということになると思うんだ」

ハウエルが静かに言う。彼の視線を受け止めたラザレスは、自分のそれをそっとエレノアに寄越した。

「……エレノアは、どう思う」

「私?」

突然話を振られて、彼女は戸惑う。決めるのは彼自身であるはずなのに、彼はまっすぐにこちらを見て、彼女の意見を問うていた。

「……私は、ラザレスがしたいようにすればいいと思う。だって、あなたのことだもの。……でも、もし住む場所を変えることで、悪夢から解放されるのであれば、そうしてほしいとは思うわ。だって、魘されているあなたは、本当に苦しそうだから」

少し考えてから、エレノアは正直な気持ちを告げた。彼女はラザレスの魘されようをこの目で見ている。あまりにも苦しそうなそれをまざまざと思い出せるからこそ、これ以上苦しんで欲しくないと、自然と思っていた。

「あなたが住みたい場所に住めば良いと思うわ。どんな場所にだって、着いていくもの」

「……エレノア」

ラザレスに着いていくという選択肢を、何の疑問もなく彼女は選んでいた。彼がいるところが自分の居場所だと、彼女はもうずっと前から思っていたから。……けれど。

「ん?いや、エレノアさん、それは出来ないよ。君が着いて行ったら、意味は無いだろう?」

唐突に、ひどく冷静な声がその場を遮った。
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