黒き魔物にくちづけを
と──ふと少女は、群れの中、遠く離れたところに、周りの狼とは違う形のシルエットが紛れていることに気が付いた。
小山のような狼の影と比べると枝のように細いそれは、よく見ると人間──それも、少女と同じくらいの歳のほどの、少年のように見えた。
「だれ……?」
少女は目を凝らして、その横顔をじっと見つめる。
まわりの狼と同じ、黒い髪をもつ少年だった。少女は彼の正体を知らない。村には、そんな髪をもつ人間は、一人としていなかったはずだから。
そうしていると、唐突に狼たちが一斉に動き始めた。少年のまわりにいた狼たちも、少女の前にいた三匹も、一匹残らず、同時に。
少女と少年の間に、何匹もの狼が入り込む。当然だ、狼たちは、少年を取り囲むように、そちらに向かって集まっていったのだから。
狼が視界を塞いで、少年が消える。少女は必死に目を凝らした。今しがた見つけた少年を見失わないように──
「……え?」
ところが、狼がいなくなっても、少年の姿は見つけられなかった。
少年は、消えた──いや。
「あれ……は?」
少年がいたはずのところ、狼に取り囲まれた中央に、一匹の獣がいた。
狼のようで、狼とは少し違った。闇を溶かしたような、完全な黒で覆われた毛並み。金色の瞳の狼たちとは対照的な、銀色の瞳。そして、喉から腹、脚にかけてびっしりと埋め尽くす、爬虫類のような鱗。
ふと、その獣が少女の方を向く。
一人と一匹の視線が、確かに、ぶつかる。
「あ……」
場違いにも少女は、綺麗な色だ、と思った。まるで月光を閉じ込めたような、銀色。
その邂逅は、決して長くはなかった。時間にしたら、一秒もなかったかもしれない。
獣がふいと顔を背ける。彼らは、何事もなかったように、森の奥へと帰っていく。少女は、どうすることも思いつかずに、見送ることしか出来なかった。
炎がごう、と、まるで挨拶のように爆ぜる音が、聞こえた。
赤と、黒と、銀色。
──少女が鮮明にもつ、【唯一】の昔の記憶は、その鮮やかな色彩で満たされている。