黒き魔物にくちづけを
声の主は、ハウエルだった。二人は驚いて顔をあげる。彼は冷静そのものといった顔で、こちらを見ていた。
「え……?えっと、意味が無いって、どういうこと?」
「言葉通りだよ。だって、人間から離れるために、森の奥へ行かなきゃいけないのだろう?君が行ったら意味が無いじゃないか。……だって、君は人間だろう?魔物ではないんだ」
「……!」
さも当たり前のことだという様子で、彼はそう言ってのける。一方でエレノアは、その言葉に冷水を浴びせられたような気分になっていた。
(……その通りだわ。私は……私だって、人間、人間なのだもの。……人間、だから、……この人とは、一緒にいられないの?)
人間と暮らしている間は、ずっと化物だなんだと言われてきた。同じ生き物だとは、決して思われていなかった。だからだろうか、意識したことがあまりなかったのだ。自分が──人間である、と。
「……待て。エレノアが、俺に害を及ぼすと言うのか?」
低い声をあげたのは、ラザレスだ。彼は鋭い視線をハウエルに向けていた。けれど青年は、動じた様子もなく答える。
「彼女がどのような人であるかは関係ない。問題は、彼女が人間であるということだ。……逆に聞くが、君は森の奥の、危険とも言える場所に人間の彼女を連れていけるのかい?」
「……っ!それは……」
言葉を詰まらせたのは、ラザレスの方だった。彼はハウエルの言葉に目を丸くして、それから押し黙った。
「……」
「……」
場に、沈黙が舞い降りる。エレノアは戸惑ったように、ハウエルは静かな表情で、セレステは不安そうに、そしてラザレスは悩むような表情で、それぞれが黙っていた。