黒き魔物にくちづけを
(私が森を出て街に住んで、彼が森の奥へ行ってしまうということは……当然だけれど、もう二度と会えなくなるということだわ。そんな……そんなことって、ある?だってやっとラザレスのことが分かってきたばかりなのに。私だってまだ、何も思い出せていないじゃない)
ラザレスがいない生活だなんて、今の彼女には想像もつかなかった。今までずっと、彼と暮らした時間の何倍もの時間を一人ぼっちでいたはずなのに、いざそれに戻る自分を、イメージ出来なかったのだ。ラザレスが自分にとって、それほどの存在になっていたのだと、まざまざと思い知る。
(……でも、私が森の奥へ着いて行ったとしても、そのせいでラザレスが苦しみ続けるんだとしたら?苦しめることしか出来ないのだったら、もう街へ戻って二度と会わない方が、よっぽどましじゃないかしら……?)
彼女は悩む。自分の望みだけに目を向けることは、出来なかった。彼女が希うものは、自分自身の幸せよりも、ラザレスのそれであったから。
(だからと言って、今の状態を続けることも最善とは言えないのではないかしら。あくまで仮説と言っていたけれど、ハウエルさんの言ったこと、辻褄が合っているもの……。もし、人を食う魔物の噂が本当になってしまったら?このまま暮らしていたら、気付いたら手遅れになってしまうかもしれない……。どうすれば、いいの?私はどうするべきなの?)
まとまらない考えをぐるぐると巡らせて、エレノアはぐ、と唇を噛み締める。何を選べば良いのかなんて──彼女には、わからなかった。
「……あ、こんな時間。そろそろ、お暇しますね」
窓の外を見たセレステがそう言ったのは、それから四半刻ほど時間が過ぎてからだった。