黒き魔物にくちづけを

ラザレスの意向を確認せずに言ってしまったのだが、彼もそれで異論は無いようだった。かなり悩んでいる表情を見せていたから、まだ決められないのだと思う。

「うん、それでも良いと思うよ」

ハウエルは頷いてそう言った。それから、エレノアだけに向かって小声で言う。

「もし、森を出るようなら手は貸せると思うよ。あの街で暮らすなら頼ってくれていいし、もし遠くへ行くんだとしても口利きくらいなら出来るはずだから」

「……ええ」

彼は、エレノアが森を出ることを選ぶと思っている。そのことが伝わるから、彼女はハウエルの顔を直視出来なかった。

庭の端にとめておいた馬のもとへと、彼らが歩き出す。エレノアはごく自然について行ったが、ラザレスの足は玄関で止まった。どうやら出ていって見送る気は無いようだ。

ハウエルは慣れた手つきで馬を止めていた紐を解いている。

「……そう言えば、もう一つ聞きたいことがあるんだ」

その様子を眺めていると、ふとハウエルが視線をこちらに向けた。声を少し潜めて、どこか玄関の方を気にしているから、ラザレスには聞かれたくない話なのかもしれない。

「君は、あの彼のことを『ラザレス』と、名前で呼んでいたよね。あれは、君がつけたのかい?」

「……?そんなことないけど」

エレノアはぱちりと瞬きをした。彼の問うたことは、思いもよらないことすぎたのだ。

名乗られたわけではないけれど、エレノアが名付けたのではない。彼の名前を知ったのは、自分自身の夢の中だ。自分のもつ一番古い記憶に出てくる黒い少年に、夢の中の自分はそう呼びかけていたから。

すると彼の方が、驚いた表情を浮かべる。どこにそうする理由があるのか分からなくて、彼女は首をかしげた。

「それでは、はじめから彼は名前をもっていたということかい?」

「え……そう、なんじゃないかしら」
< 203 / 239 >

この作品をシェア

pagetop