黒き魔物にくちづけを
「彼の魔物の親がラザレスと名付けたということはありえないはずだ。……ということは、もしかしたら彼は、昔人間と関わったことがあるのかもしれないね」
「…………」
エレノアは黙り込む。ラザレスが、名前なんていう大切なものを誰かにつけてもらった、と考えると、胸の奥になんだかもやもやしたものが広がっていく気がした。
「──さてと、それじゃあ、そろそろ行くよ」
馬を外し終えた彼は、さっさと馬上の人となった。紳士らしく妻に手を差し伸べて引き上げて自分の前に横向きで座らせると、まだ考え込んでいるエレノアに声をかける。
「エレノアさん、今日はありがとうございました」
「こちらこそ、ありがとう。雪が深いところも多いから、気をつけて帰って」
「はい」
ハウエルがゆっくりと馬を繰って、向きを変え始めた。セレステが屈託ない笑顔を浮かべてこちらに手を振る。つられて、エレノアも片手を上げて振り返した。
二人の乗った馬が走り出す。エレノアはその後ろ姿が小さくなるまで見送って、それから踵を返してラザレスのもとへと戻った。
そこから動かないで見守っていたらしい彼は、エレノアが隣に並ぶのを待ってから中へと入っていく。もちろん彼女もそれに続いた。
「……あの人間の言ったこと、正しいのかもしれないと思った」
廊下を進みながら、彼はぽつりと呟くように言った。
「そう、ね。あなたの翼が生えてきた理由が、説明できるものね」
エレノアは頷く。少なくともハウエルが言ったことは、起きていることと矛盾はしていない。ならば、原因不明と片付けるよりも、証拠がなくても彼の説が正しいと考えた方が合理的である気がするのだ。