黒き魔物にくちづけを
「……考えたんだけど、カゲが凶暴になったのも、もしかしたらそのせいなのかなって思ったの。実はね、ちょうどカゲの様子がおかしくなり始めた時期に、街で魔物が人を襲うって噂が流れていたから」
言おうかどうか迷っていたことを、結局エレノアは告げることにする。傍らのラザレスの目が、大きく見開かれるのを見た。
始めは、凶暴化したカゲに襲われた人間が実際に出てしまったことで、噂が流れたのかと思った。つまり、凶暴化が先で噂は後だと思ったのだ。けれどセレステによると被害は無いという。それならばハウエルの言う通り、噂が広まるエネルギーが影響を及ぼして、カゲに影響したのではないだろうか。噂が先で、凶暴化があとから着いてきた。ある種の発想の転換をすることで、納得出来る部分がある。
「街で噂が……?そうか、それで……。なるほどな。俺の翼と合わせて、これで例が二つか。となると、噂が魔物に影響を及ぼすという説の信憑性がます高まるな」
「……そう、ね」
難しい顔でそう言うラザレスに、エレノアは静かに首を縦に振った。
噂の信憑性が高まるということ──それはつまり、彼の言う通り、この生活を続けることは得策ではないということにも繋がる。彼は、魔物と人間は共には暮らせないと言っていたのだから。
先程まで四人でいた居間へ辿り着く。二人は無言でそれぞれの席へ着くと、互いに黙って考え込み始めた。
多分、今相手が考えていることは、自分のそれと同じだ。エレノアはどこか確信めいたものを感じながら、答えの出ない問題をそれでも思案した。
沈黙が降りて、どのくらいの時間が経ったのだろうか。
「俺は……」
沈黙を破ったのは、彼女ではなかった。
ラザレスの答えが、出たのかもしれない。彼はまだ迷った目をしながらも、彼女をしっかりと見つめていた。
顔を上げたエレノアは、唐突に初めて森へ来た日のことを思い出した。あの頃と同じように、人間の世界へ帰れと言われるのだろうか。嫌な想像をして、思わずごくりとつばを飲む。
けれど──彼の言葉が、放たれるよりも早く。
──パァン!
遠くの方で、森には似つかわしくない乾いた音──人間の放ったものであろう、銃の音が響いた。