黒き魔物にくちづけを
このまま生きていたって、自分はきっとどうやっても幸せにはなれない。黒い瞳が本当に不吉を呼び起こすのかそうでないのかはわからないけれど、どちらにしても他の人間がそう思っているのだから。他の人間が、黒を不吉に仕立てるのだから。──そんな世界の中で生きていることに、何の意味があるのだろう?
いつだって、死んで良かった。だったらもう、恐れることなんて何も無いではないか。
そう、気付いてしまったら、一気に楽になった。恐れが、どこかへ消えていった。それどころか、絶対無事に落ちてやるという気概まで生まれてきた。
(……そうよ。この町の人間のため、みたいになるのは気に食わないわ。魔物に会うまでは絶対に死なないわよ)
魔物に対しての恐れは、不思議とあまりなかった。彼女の知っている魔物の姿は、凛々しくて、悠然としていたものだから。
生贄として食われてしまうとしても。その前に、あの魔物について尋ねよう。そして、あわよくば知りたい。どうして、彼女の村の終焉の日に訪れたのか。──あの日、村で何があったのか。
彼女の過去は、記憶は、失われてしまっている。それを取り戻すことが出来たら、それこそもう思い残すことはないだろう。──記憶のなかの自分が幸せだったとして、そこにある幸福を掴むことはもう永劫出来ないのだもの。
(行ってやろうじゃないの!魔物のところでもなんでも!)
そう、決意したところで──背後から、強い力で押し出された。
まじないの声が、ひときわ大きく響く。太鼓だろうか、奏でられた音が、闇の間を縫うように鳴り響いた。
松明の明かりが、大きく揺らめく。
「きゃああああああああああっ!」
──空に投げ出された生贄の身体は、闇に呑まれて、消えた。