黒き魔物にくちづけを
「はあああ……」
エレノアは盛大にため息をつく。今、こうして大人しく屋敷で待つことを決めた自分自身に、若干の呆れを感じながら。
(従順になったものよね)
以前の自分なら、縛られでもしようものなら何としてでも抜け出していただろう。そうしないのは、ラザレスのことを信用しているのと、彼がエレノアにここで待っていてほしい、と思う気持ちが分かってしまうから。
……本当は、わかっているのだ。自分が行ったところでどうにもならないと。ただ逃げるだけなら、彼女ならきっとどうにかなる。けれど戦いにおいてそれほどの力をもたない自分は、彼に降りかかる火の粉を散らしてやることは出来ない。
(せいぜい守られて、あの人に余分な怪我を負わせるのが関の山……よね)
わかっている、わかっているのだ。聡明な彼女は、そんな想像など容易につく。
──けれど、だからと言って、じゃあ行ってきてと無責任に送り出せるかと言えば、それとこれとは話は別で。
(つい、かっとなっちゃったけど……でも、確かに私はここで待っている方が良いに決まってるわね)
突然縛られた時はぎょっとしたが、かえって冷静になれた。どうにも落ち着かないけれど、このまま彼が帰ってくるのを待とう。
(どうか……どうか、無事に帰ってきて)
静かな部屋で、エレノアは膝を抱えてぎゅっと抱きしめる。自身の不安を押し殺すようにして、彼の人が無事に帰ることを祈った。