黒き魔物にくちづけを

***



膝をに顔を埋めて、どのくらいの時間が経った頃だろうか。

不意にエレノアは、言いようのない気持ち悪さに襲われて顔を上げた。

「なに……!?」

誰もいないとわかっているのに、思わず声が出た。それほどの、ただならぬ気配を感じたから。

ぞわぞわと背筋を這い登るのは、悪寒と表現するのが正しいのだろうか。身体のどこも、不調を訴えてはいない。それなのに、得体の知れない不快感が、身体中にまとわりついて離れない。

──嫌な予感が、する。理由なんて分からない、けれど、勘がそう訴えていた。何か、良くないことが起こると。

正体を突き止めたい、けれど、縛られたこの状態では何も出来ない。もどかしさに唇を噛んだ、その時。

ウォォォン──……

唐突に、耳に届いた、風のような音。否、それは呻き声だった。それも、嫌に聞き覚えのある。

心当たりなんて、一つしかなかった。

「ラザレス……!?」

エレノアは思わず立ち上がろうとして、けれどすぐに躓いた。手首を拘束されていることを、一拍おいて思い出した。

(何が起こっているの……?)

その崩れた体勢のまま、彼女は呆然と窓の外を見た。そんなことをしても彼の姿が見えるはずもないのに、目を凝らして白い空を見つめた。──そうしたところで、やはり、何も見えなかったのだけど。

(今のはラザレスの声……? 彼に何かあったの? 怪我? まさか……ううん、でも今まで何の物音も聞こえなかったのよ。ラザレスの声だけ聞こえるなんておかしいわ。きっと、隙間から入ってきた風の音よ。……そう、そうよ)

一人、こんなところに閉じ込められて、戦況は分からない。どうしたって増す不安を、彼女はかぶりを振って追い出そうとした。帰ってくると約束したのだ。あの人が簡単に負けてしまうはずがない。それに、帰ってきてもらわなければ困るじゃないか。この縄を解いてもらわなければならないのだし──。
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