黒き魔物にくちづけを
「……っ」
のしかかられ、両手の自由を奪われている状態で、抵抗することはままならない。このまま食いちぎられてしまえば、エレノアの命は無いだろう。
(私……死ぬ、の?)
ずっと、死にたいと思っていた。目的を果たしたら死ぬつもりで、森へと足を踏み入れた。その、はずだった。
けれど今、死を目前にして、彼女はそう──『死にたい』と、思えてはいなかった。
(私の知るラザレスに殺されるなら構わない。けれど、こんな状態のこの人になんて、殺されたらたまらないわ……!)
そう思った瞬間。恐怖していたエレノアの瞳に、強い光が戻った。
「……ラザレス」
魔物の牙が、まさにエレノアの喉を貫かんとしたのとほぼ同じ刹那。彼女の呼び声が、魔物の鼓膜を揺らした。
「ラザレス!」
はっきりと自身に呼びかけられた声に、魔物の動きが一瞬止まる。それを逃さず、彼女は畳み掛けるように、先程より大きな声で呼びかけた。同時に左手で、押さえつけていた彼の手を逆に握り込む。彼に、自身の体温を教え込むように。
「ラザレス!お願い目を覚まして!あなたはそんな魔物ではないでしょう!?」
びくり、と握りしめた手が、そして魔物の身体が揺れる。そのはずみに、彼の顔がエレノアの喉から離れた。
「ラザレス、聞こえているのね!?お願い、戻ってきて!」
「……ヴ、ぁ……」
魔物の口から呻き声が漏れる。彼は苦しむように、身体をくの字に曲げて唸り始めた。